父、救急搬送される

今朝、7時前に携帯が鳴った。寝ぼけててアラームだと思って止めようとしたら、電話じゃん。0492~って埼玉の局番。いやーな予感。


電話は父のマンションの管理人さんから。「お父さんが怪我をして倒れていたので救急車を呼んだのだが、お嬢さんは遠くてすぐに来られないだろうから、妹さん(姉ね)の電話番号を教えて下さい」と。その番号を警察に伝えるという。姉には私からもかけようかと思ったけど、お話中になるとイケナイと思って、とりあえずLINEで一報を入れておく。

母が入院中も、電話に出たためしがない姉(電源切ってるか留守番電話)。まず、出ないだろうなぁと思っていると、ほどなく今度は警察からの電話。案の定、姉に電話がつながらないという。「連絡取る方法ありませんか?」と言われても、私だって知りたいわい。そうとも言えないので、「とりあえず私がこれから向かいます、2時間かかりますけど」。

その電話では、怪我は大したことがないので病院に行くほどでもないが、家族の人に引き渡さないと帰れないという。2時間はここで待っていられないから、いったん警察署で預かるので署まで引き取りにきてくださいとな。

分かりましたと電話を切って、出かける用意をしていると、今度は救急隊員からの電話。傷は大したことないけれど、頭をぶつけているかもしれないので、一応病院に搬送したいという。了承し、聞かれた情報を教え、家を出る。最寄り駅に着いたあたりで、搬送先が決まったという連絡が来た。川越線の南古谷という駅にある病院だという。

その後、再び警察から電話で、やはり病院に搬送されたので病院に直接言って下さいと。病院では入院することになったようなので、その手続きもお願いしますとのことだった。この警察の人が優しい人で、「お手数おかけしてすみません」というと「とんでもないですよ。どうぞお気を付けていらして下さいね」と。今日に限って夫もいなくて、姉にも連絡がつかず、ひとりでテンパってたもんだから、そんな言葉でも涙が出そう。

管理人さん、警察、救急、みんな言うことが食い違うのでよく分からないんだけど、要するに父が早朝にマンション内の外廊下?敷地内?でハイハイしているところを、住民が見つけて通報ということらしい。直接の通報は誰がどこに最初にしたのは不明。

なんとなく状況が飲み込めたところで、車内で「南古谷」への行き方を調べる。新宿から埼京線で一本か。駅からはそれほど遠くないけど、雨降って寒いしタクシーに乗った。

病院に着いてみると、顔と足の指に傷があるものの、本人はいたって元気。雨降ってて濡れた地面で滑って転んだらしい。持ち込まれていた父の履いていたらしき靴は、トイレのスリッパ。そりゃ滑るわ。

本人曰く、滑るから危ないと思ってハイハイしていたと。その前に1回転んでってことなのかな。どこへ行こうとしてたのかは要領を得ないけど、なんとなくでも状況が分かってるので、特に異常はなさそう。痛がってる風でもない。言ってることわけわかんないのはいつものことながら、母が入院したときのようなせん妄状態ではない。

看護師さんに話を聞いたモノの、今日の時点では祝日で医師がいないので、すべては明日先生に診てもらってからとのこと。緊急性はないって判断されたんだろう。医師の話を聞いたり、入院の手続きをしたりも、明日になるというので、姉が来るのを待って、私は「また明日くるからね」と帰ってきた。(到着するなり、逆切れでヒステリー起こす姉にうんざり)

と、帰り道。姉からLINEで、父が家に帰ると言って聞かないので、連れて帰ったと。当直の医師も呼んで説得してもらおうとしたら、「特に問題なさそうだから帰っていいです」と言われてしまったと。粘る姉に、「病院はホテルじゃないので、帰宅後のことはご家庭の問題です」と突き放されたそうだ。

で、結局自宅に連れ帰り、姉は今晩は実家に泊まるという。明日は私が様子を見にいく予定。

本当は、入院したのをいいチャンスとばかり、このままショートステイや施設入居になだれこんでしまえないか?ともくろんでいたけれど、あえなく失敗。まあ、大事に至らず良かったねってことなんだけど。入院が長引けば、もっと認知症が進んじゃったり、歩けなくなったりしちゃうしね。

こんなことを、これから何度も繰り返すのかしらねぇ。

ちなみに、今日は10年ぶりぐらいに会う友達とランチの約束をしていたのに、それもボツ。ざんねーん。





2017.11.23 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 介護



読書録:『ネガティブ・ケイパビリティ』


ネガティブ・ケイパビリティとは、サブタイトルにあるとおり『答えの出ない事態に耐える力 』。

世の中では、問題を解決することが良しとされ、その能力「ポジティブ・ケイパビリティ」ばかりが求められるけれど、さまざまな解決できない問題に対処していくには、早急に答えを出そうとしないで、その事象を宙ぶらりんのままにしておける力が必要なのだそうだ。

筆者は精神科医でもある小説家。長年の精神科医としての臨床での体験も踏まえて、「ネガティブ・ケイパビリティ」の重要性を説く。精神科でいえば、すぐに治療法を見つけてあげることができなくても、ずっと見守ってくれているという安心感と、時間が解決してくれることもあると。

人間の脳は「知りたがる」ようにできていて、何かの問題にぶちあたったとき、原因は何か?を突き止めようとする。そして「方法は?」と必死に答えを探す。それが本能なので、それを答えを探さないで置くことは、それなりの能力が必要ということになる。

姉という理解不能な存在と向き合うためには、まさにその力こそ必要なのでは!と大いに納得したんだけど、肝心の、それを養うにはどうしたらよいか?という話がほとんどない。というか、ピンと来るものはなかったのがとても残念。

と、まさに答えを求めちゃってるところが、ネガティブ・ケイパビリティが欠如してるってことなんだな。

結局は、ひたすら我慢する、やり過ごす、受け流すしかないのかも。とりあえずは、答えが欲しい!と思ったときに、「ネガティブ・ケイパビリテ……」と唱えてみるだけでも、何か変わるといいなぁ。


2017.11.22 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



誕生日前日に父を訪ねる

今日は銀行の手続きがあって、ついでに実家にも寄ってきた。


11時にケアマネさんが来る約束になっていたので、朝一番で家を出る。実家近くまで来て電話を入れると、ヘルパーさんが出て、「今お食事を召し上がっています」。このとき10時半。朝ご飯なのかお昼ご飯なのか??ま、いいんだけど。

ちょうど帰り際だったヘルパーさんは、初めて見る方。「今日は、直接ズボンを履いていらしたので、リハビリパンツを履いていただきました」とな。その前に履いてたリハパンはどこへ?と探したら、父のジャンバーのポケットにあった。

ケアマネさんの用件は、先日の介護保険認定で認定が1つ上がったので、新しい書類を作る必要があったらしく、サインとハンコを押す。認定度とは関係ないけど、母が亡くなって世帯数が減った関係で、先月から介護の自己負担は2割。自己負担金は単純に2倍になった。

ついでに、現状報告などを含めていろいろ相談に乗ってもらう。心配していた年末年始は、一人暮らしの人の場合、関係なくサービスが受けられるという。姉がどうするというか分からないけど、お願いできることが分かって一安心。

ヘルパーさんの日報を読んでも、担当者がちゃんと連携して、父を責任持ってサポートしてくれているのが感じられて安心できる。こうやって私が普通の生活をしていられるのも、ヘルパーさんやケアマネさんがしっかりやってくれるおかげ。感謝、感謝。

ただ、一方で行く度に家がヘルパーさんたちの領域になっていく感じで、台所のものなども勝手にいじっちゃ悪いかなとか、冷蔵庫の中のも使ったら困るかなとか遠慮しちゃう。文句を言われたりすることはないので、気にすることもないんだけど、できるだけ気分よく働いてもらいたいしね。

父は、最近は着替えもひとりでは覚束ない様子。入浴もひとりでできることが減ってきているようだ。先々週に私が行った日も、ヘルパーさんの日報には「娘さんがいらっしゃったようですが(ヘルパーさん宛にメモなど書いたので)、「誰かが来た」と言っていました」と。あの日は夕方までいたから、ヘルパーさんが来るまではほんの1,2時間しかたってなかったと思うけど、忘れちゃうのね。今日も、私だということが分かってるのかいないのか。「誰かよく知ってる人」レベルだった感じも。

実は明日22日は父の89歳の誕生日。お赤飯を持参し、プレゼントにパジャマも買っていったのだけれど、「おお、悪いね、ありがとう」と言うものの、反応が薄い。先月、ズボンを買っていってあげたときは、もっとうれしそうだったんだけど。父が「大事にされている」って幸せな気持ちになってくれればいいなという願いも、あまり通じなかったみたい。こうやって、どんどん分からなくなっていくのね。。。

2017.11.21 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 介護



「死ぬならガンがいい」は本当か?

医者は「自分が死ぬならガンがいい」という話をよく見聞きする。理由は「死ぬまでに準備期間があること」だという。


心筋梗塞や脳血管系の病気と違って、突然倒れてそのまま死んだり、寝たきりになってしまうということはまずない。その間、自分も覚悟を決め、まわりも心の準備ができる。死に至る直前まで普通の生活を過ごせることが多いともいう。痛み苦しみながら死ぬというイメージも、現在は薬でコントロールができるからと。

実際母を見送って、確かにその通りだなと思う。もちろん、人それぞれいろいろなケースがあるだろうけど、母に関しては。

母のガンが見つかったのは、2016年のGW開け。その半年ぐらい前から口の中が腫れていたらしい。母は以前から毎月歯医者に行っていたので、早い時期から相談していたのに、「週に1回消毒するだけ」で数ヶ月経過。2月ぐらいにい大学病院での精密検査を勧められたものの、ちょうどそのとき脊柱管狭窄症の痛みがひどくなり、そちらの入院手術を優先。すっかり良くなったからと、やっと大学病院に行ったら、ガンの宣告。本人はさすがに落ち込んだらしい。

その時点で骨まで達していて、年齢的なことも考えると、外科手術、化学治療(抗がん剤)は勧められないということで、根治は無理という前提で、1カ月半入院し、放射線治療を受けた。

母にしてみれば、「もっと早く気づいてくれれば!」と、通っていた歯医者をヤブ呼ばわりして恨んでいた。私たち家族も同感だけど、仮に手術できる段階だったとしても、患部が顔だけに、それを選択するのが正しかったのか?とも思う。90歳近い老人が、人と会いたくないような顔になってまで生き延びるのが幸せかどうか。

放射線治療で一回は小さくなったガンも、退院後3カ月後ぐらいからまただんだんと大きくなってきたが、今度はもう打つ手がないと、「気休め」に経口タイプの抗がん剤を飲むだけ。それまで普通に元気だった母も、2017年の年明けぐらいからは痛みを訴えるようになり、食事量も減り(口が痛くて食べられないので)、徐々に弱っていった。

とはいえ、9月に亡くなる2カ月前までは自宅で夫婦ふたりでなんとか暮らせるほどには元気だった。かなりしんどそうではあったけれど、甘えられないという一身でがんばっていたのだろう。

7月下旬に自分から言い出して入院してからは、一気に悪化。せん妄症状が出たこともあり、3日目ぐらいからオムツ着用の寝たきり状態。1週間後ぐらいからは配膳もされなくなり、点滴のみで栄養をつないでいた。

痛みは本人にしか分からないけれど、少なくともはたから見る分には、激痛にうなって苦しんでいるというシーンはなかったと思う。入院前も、「痛くて痛くて」と泣き言を言っていたと思えば、「あまり痛くない」と言ってみたり。よく先生から「10段階でいうとどのぐらいの痛みですか?」と聞かれても、そのときによって答えはまちまち。どうも、そのときの精神的な状態にも左右されているような感じだった。

入院後は安心したのか、むしろ痛みは緩和されたようにもみえた。食事という苦行がなくなったせいもあるけれど。先生曰く、「痛いですか?」と聞くと「痛いに決まってるでしょ!」と怒られると笑っていたけど、実際に口の中を消毒したりしていても、あまり痛そうな素振りはみせなかったという。そんなこともあり、数週間目からは入院前から使っていた医療用麻薬を辞めていたぐらいなのだから、やはり実際痛みは軽減してたんだと思う。先生は、「ガンが進んでくると不思議に痛みがなくなる人もいるんですよね」とも言っていたけれど。

医療用麻薬は、年明けごろから大学病院の緩和ケア科で処方してもらったのが最初で、その後大学病院に通えなくなり、訪問医療の先生にお願いするようになった後は、診察のたびに増量されていた。入院後は同じものを点滴で処方されていた。

結局、入院して寝たきりになって点滴だけで約2カ月弱がんばった母。最後は本当に骨と皮だけになってしまって、口が痛いのと体が衰えたので最後1カ月ぐらいはほとんど何を話しているのか分からなかったけれど、苦しそうではなかった。何もできない状態で死を待つだけという日々は精神的には辛かったと思うけれど。

最後に入院していたのが緩和ケア病棟だったので、痛みのコントロールなども上手にやってもらえたんだと思う。先生が明るくていい人だったのも、母は安心できただろう。最期はいわゆる延命措置は一切なかった。ドラマとかで見かける心電図モニターみたいなのもなし。臨終の確認は、家族がみんな揃ったところで、初めて瞳孔の確認などをして、その時間が死亡時刻となった。これは、「間に合わなかった」という思いを家族に残さないための配慮とのこと。

ひとつだけ残念だったのは、容態が急変したのが祭日の朝で、その日の夜中に亡くなってしまったので、「看取り」をしてくれたのは夜勤の見たこともない先生だったこと。夜中のうちに病院は出なくてはいけないから、お世話になった先生にも看護師さんたちにも挨拶もできずにお別れになってしまったのは、私としても心残り。2ヶ月間、私も頻繁にお見舞いに行って、何度か話もして、「同志」みたいな気分だったので。。退院後に忘れ物を受け取りがてら尋ねたときも、会えなかったし。

こうやって改めて振り返ってみると、伏せったのは実質2カ月弱。あのときは長く感じたけど、89年の生涯で2カ月前まで普通の生活が出来ていたというのは幸せなことだと思う。本人はガンと宣告され、治らないと言われ辛かったかもしれない。一瞬でそのまま逝っちゃった方が精神的には楽だったかもしれない。

でも、残された側としては、やっぱり約1年ちょっとの時間をかけていろいろ準備ができたのは、ありがたかったと思う。特に残された父の世話のこともあるので、これがある日突然ということだったら、もっと大変だったと思う。

ただ、できた場所が口っていうのだけは、本当に気の毒だったと思う。比較的元気なときから食事がとれなくなったこと、話がしにくくなったこと。そして最後は組織が崩れてお花で隠してあげないといけないほどの状態になってしまったこと。

ちなみに、父は若い頃から「俺はガンで死ぬ」と宣言していた。そして自分ひとりの分だけガン保険にも入っていた。そして口癖は「認知症だけにはなりたくない」と。皮肉なもんだよね。。。




2017.11.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 母の入院



納骨堂について

昨日は姉との話に気を取られていて書きそびれたけど、詳しく知りたい人もいるかもしれないので、納骨堂の話をもう少し。


今回決めた「早稲田納骨堂」は、早稲田駅徒歩1分の龍善寺というところで運営しているもの。リンクをクリックしてもらうと、トップページの写真からも分かるように、新しくて、明るくて、いわゆる「お墓」のイメージとはほど遠い。

こちらが外観。大変立派。
IMG_4785.jpg 

最初に見学に行ったときは(そのときの日記はこちら)、なんか違和感を感じてイマイチ~と思ったのだけれど、納骨の日に父を連れていくことを考えたら、動線として一番都合がいいというこということが一番の決め手になり、決定。その「動線」を確認するためにリハーサルまでやったのに(下見のときの日記を参照)、結局、姉に私の意図がまったく伝わってなくて、私のお膳立てはまったくの無駄になったのだけれど。

それはともかく。当初は永代供養墓で良いと言っていた姉が、現地にいったら一応納骨堂もみたいと言いだし、結局そちらにすることになった。姉曰く、「永代供養墓だと、どこか観光地のお寺に詣でるみたいでお墓の実感がない」と。まあ、確かにそれは一理ある。
IMG_4788.jpg 

納骨堂の場合、「家族箱」というので申し込むと、この後父も姉も入れるということが確約されるというのも、姉にとっては魅力だったんだろう。「同じ永代供養墓に入れる」って決めてしまえば同じじゃんと私は思うけど、そこは実際に入る人の気持ちを尊重しなくちゃだ。

金銭面でも、最初から合葬してしまうタイプなら28万だけれど、ある程度の期間は骨壺に入れておいてもらってとなると33万円で、さらに年間5000円の管理費が必要になる。「夫婦プラン」はあれど、3人以上の家族プランはないので、3人分合計すると、けっこうな値段になる。

一方の納骨堂の場合は、檀家、信徒、一般の3プランがある。檀家にならなくても、後から入る人の葬儀一切をここのお寺のお坊さんにお願いするという条件付きで、少し安くなるのが「信徒」プラン。安くなると言っても、葬儀のときのお布施を考えたら、ネット予約の一律16万ってわけにはいかないかもしれないし、面倒くさい。なので、一般プランを選んだ。このプランだと68万円+年間管理料が1万3000円。

管理料は、当面は父のお金から、父の死後は姉に払ってもらう。姉の入ったあとは、好きにしていいっていうから、たぶん即刻契約解除してもらうと思う。そのときは私はもういないかもしれないから、娘たちにもそう言っておくつもり。解除した場合、3人分まとめて永代供養墓に入れてもらえる。

父は、昨日の納骨時は、知らない人がみたら普通に見えるほどちゃんとお利口に(笑)してたけど、おそらくほとんど分かってないと思う。自分がそこに入るなんてことも(案の定、帰宅するなり「お母さんはどこだ?」と聞いていたらしい)。父の頭がしっかりしていたら、お墓のこともあれこれもっと面倒臭かったと思うので、分からなくなってくれてることにある意味感謝かな。

今後のお墓参りは、入口で名前を紙に書いて提出すると、いくつかあるお参り用ブースのディスプレイに故人の名前などを表示してくれる。持って行ったお花を入れる花瓶はあるけど、電気製品が多いのでお水は入れないこと。そして地下で煙が出るといけないということで、お線香も禁止。電気炉みたいのにお焼香だけ。

ブースは全部で8つぐらいあるって言ったかな。
IMG_4789.jpg 


こちらが個別のブース。(表示されている名前は、見学のときのサンプル)
IMG_4790.jpg 

お参りが終わったら、お花は共同の墓碑?みたいなところに供えて帰る。
IMG_4792.jpg 

特別参拝といってお金を払うと、実際のお骨をブースの窓から見える場所まで持ってきてもらえる(上の個別ブースの写真の下の間ん中のところね)。あんまり意味ないように思うけど。

あと、面白かったのは、契約のときに、お参りできる人を制限できるオプションがあったこと。そこに名前を書いた人以外は参拝させないってことができるらしい。これって、兄弟姉妹の骨肉の争いとか、愛人問題とか、「コイツにだけは絶対お参りしてもらいたくない!」ていうニーズが多いってことよね(笑)。

いずれにしろ、やっぱりああいうタイプの「お墓」だと、お墓参りっていう実感がないから、わざわざ行くモチベーションも下がっちゃうなぁというのが、正直なところ。ビジネスライクなお寺だから、その都度お坊さんと顔を合わせて話をするなんてこともなさそうだし。

千の風じゃないけど、それぞれ残った人の心の中にいると思えば、お墓なんてどうでもいいやーってのが本音かな。でも昨日のお参りでは本堂で「わがままな人ですけど、どうぞよろしく」ってお願いしてきた(笑)。

そうそう、納骨の法要での面白かった?こと。お経本を渡されて、お坊さんといっしょにお経を読むというパートがあったのだけれど、その抑揚がむずかしくて。記号みたいなのが書いてあるので、だんだんと、その意味が分かってきてマネしてみるけど、なかなか。特に、最後の方の「南無阿弥陀仏~」と続くところの、伸ばすイチがよく分からん。「ああここまでくれば楽勝だ」と思ったら全然ついていけなくて無念。こういうのも、きっと宗派でイロイロ違うんだろうね。

といろいろ社会勉強になったのは確かかな。なーむー。






2017.11.19 | | コメント(1) | トラックバック(0) | お墓探し



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