母が教えてくれたこと

まるで「涙腺崩壊」的なタイトルだけど、残念ながら、そんな「いい話」ではなくて(笑)。


最近、ジムで「骨盤エクササイズ」とか「セルフメンテナンス」とかのコースに参加してる。元々は、去年の春に足の指を骨折してヨガができなくなったときに、リハビリとして通いだしたらなかなかいいので、水曜日はそのままそっちに鞍替えしちゃったという流れ。

その先生が整体もやっているらしく、骨とか筋肉とかの仕組みにすごく詳しくて、「ココとココがこうつながってるから、ここをほぐすと……」とか、「ココの筋肉が衰えるとここがゆがんで……」とか、そんな感じのことをすごく詳しく説明してくれる。で、それを改善するための方法をいろいろ教えてくれると。

根性よりも理論派な私なので、その先生の話はとても説得力があって興味深い。帰ってくると、その「なんとか筋」やらについて調べちゃったりして。いっそ、コンパクトサイズの人体模型でも買っちゃおうかとAmazonを探索してみたり。

と、ここまで書いて、「母の教え」にピンと来た人いますか?

母の葬儀のときにも書いたけど(この記事の後半ね)、母は89歳という高齢だったにもかかわらず、火葬した後にはほとんどの骨が「そのままの状態」で残っていた。お骨を拾うときは、骨壺に入るように小さく崩してあったけれど、最初私と姉と父と3人だけ呼ばれて、炉から出すところに立ち会ったときは、さっき炉に入れるときに横たわったままの状態で、これがまさに理科室にある人体模型そのものだったのだ!

炉に入れる前は、いよいよこれでお別れだということで号泣してたくせに、その骨を見て、すご~いと好奇心がムラムラしてきて、係りの人に、「これは?」とか質問攻めにしちゃった私。今思えば、横で見ていた姉は、「何この子、不謹慎な!」ってむかついてたかも(苦笑)。

でも、私にとっては、まさにこれが母の「最後の教え」。先生が関節だの骨だのの話をするたびに、「生人体」の骨を思い出すと、非常にイメージしやすいのだ。さすがに、筋肉は見られなかったけど。

というわけで、お母さん、レアなもの見せてくれてありがとう!

2018.01.31 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 母の入院



「死ぬならガンがいい」は本当か?

医者は「自分が死ぬならガンがいい」という話をよく見聞きする。理由は「死ぬまでに準備期間があること」だという。


心筋梗塞や脳血管系の病気と違って、突然倒れてそのまま死んだり、寝たきりになってしまうということはまずない。その間、自分も覚悟を決め、まわりも心の準備ができる。死に至る直前まで普通の生活を過ごせることが多いともいう。痛み苦しみながら死ぬというイメージも、現在は薬でコントロールができるからと。

実際母を見送って、確かにその通りだなと思う。もちろん、人それぞれいろいろなケースがあるだろうけど、母に関しては。

母のガンが見つかったのは、2016年のGW開け。その半年ぐらい前から口の中が腫れていたらしい。母は以前から毎月歯医者に行っていたので、早い時期から相談していたのに、「週に1回消毒するだけ」で数ヶ月経過。2月ぐらいにい大学病院での精密検査を勧められたものの、ちょうどそのとき脊柱管狭窄症の痛みがひどくなり、そちらの入院手術を優先。すっかり良くなったからと、やっと大学病院に行ったら、ガンの宣告。本人はさすがに落ち込んだらしい。

その時点で骨まで達していて、年齢的なことも考えると、外科手術、化学治療(抗がん剤)は勧められないということで、根治は無理という前提で、1カ月半入院し、放射線治療を受けた。

母にしてみれば、「もっと早く気づいてくれれば!」と、通っていた歯医者をヤブ呼ばわりして恨んでいた。私たち家族も同感だけど、仮に手術できる段階だったとしても、患部が顔だけに、それを選択するのが正しかったのか?とも思う。90歳近い老人が、人と会いたくないような顔になってまで生き延びるのが幸せかどうか。

放射線治療で一回は小さくなったガンも、退院後3カ月後ぐらいからまただんだんと大きくなってきたが、今度はもう打つ手がないと、「気休め」に経口タイプの抗がん剤を飲むだけ。それまで普通に元気だった母も、2017年の年明けぐらいからは痛みを訴えるようになり、食事量も減り(口が痛くて食べられないので)、徐々に弱っていった。

とはいえ、9月に亡くなる2カ月前までは自宅で夫婦ふたりでなんとか暮らせるほどには元気だった。かなりしんどそうではあったけれど、甘えられないという一身でがんばっていたのだろう。

7月下旬に自分から言い出して入院してからは、一気に悪化。せん妄症状が出たこともあり、3日目ぐらいからオムツ着用の寝たきり状態。1週間後ぐらいからは配膳もされなくなり、点滴のみで栄養をつないでいた。

痛みは本人にしか分からないけれど、少なくともはたから見る分には、激痛にうなって苦しんでいるというシーンはなかったと思う。入院前も、「痛くて痛くて」と泣き言を言っていたと思えば、「あまり痛くない」と言ってみたり。よく先生から「10段階でいうとどのぐらいの痛みですか?」と聞かれても、そのときによって答えはまちまち。どうも、そのときの精神的な状態にも左右されているような感じだった。

入院後は安心したのか、むしろ痛みは緩和されたようにもみえた。食事という苦行がなくなったせいもあるけれど。先生曰く、「痛いですか?」と聞くと「痛いに決まってるでしょ!」と怒られると笑っていたけど、実際に口の中を消毒したりしていても、あまり痛そうな素振りはみせなかったという。そんなこともあり、数週間目からは入院前から使っていた医療用麻薬を辞めていたぐらいなのだから、やはり実際痛みは軽減してたんだと思う。先生は、「ガンが進んでくると不思議に痛みがなくなる人もいるんですよね」とも言っていたけれど。

医療用麻薬は、年明けごろから大学病院の緩和ケア科で処方してもらったのが最初で、その後大学病院に通えなくなり、訪問医療の先生にお願いするようになった後は、診察のたびに増量されていた。入院後は同じものを点滴で処方されていた。

結局、入院して寝たきりになって点滴だけで約2カ月弱がんばった母。最後は本当に骨と皮だけになってしまって、口が痛いのと体が衰えたので最後1カ月ぐらいはほとんど何を話しているのか分からなかったけれど、苦しそうではなかった。何もできない状態で死を待つだけという日々は精神的には辛かったと思うけれど。

最後に入院していたのが緩和ケア病棟だったので、痛みのコントロールなども上手にやってもらえたんだと思う。先生が明るくていい人だったのも、母は安心できただろう。最期はいわゆる延命措置は一切なかった。ドラマとかで見かける心電図モニターみたいなのもなし。臨終の確認は、家族がみんな揃ったところで、初めて瞳孔の確認などをして、その時間が死亡時刻となった。これは、「間に合わなかった」という思いを家族に残さないための配慮とのこと。

ひとつだけ残念だったのは、容態が急変したのが祭日の朝で、その日の夜中に亡くなってしまったので、「看取り」をしてくれたのは夜勤の見たこともない先生だったこと。夜中のうちに病院は出なくてはいけないから、お世話になった先生にも看護師さんたちにも挨拶もできずにお別れになってしまったのは、私としても心残り。2ヶ月間、私も頻繁にお見舞いに行って、何度か話もして、「同志」みたいな気分だったので。。退院後に忘れ物を受け取りがてら尋ねたときも、会えなかったし。

こうやって改めて振り返ってみると、伏せったのは実質2カ月弱。あのときは長く感じたけど、89年の生涯で2カ月前まで普通の生活が出来ていたというのは幸せなことだと思う。本人はガンと宣告され、治らないと言われ辛かったかもしれない。一瞬でそのまま逝っちゃった方が精神的には楽だったかもしれない。

でも、残された側としては、やっぱり約1年ちょっとの時間をかけていろいろ準備ができたのは、ありがたかったと思う。特に残された父の世話のこともあるので、これがある日突然ということだったら、もっと大変だったと思う。

ただ、できた場所が口っていうのだけは、本当に気の毒だったと思う。比較的元気なときから食事がとれなくなったこと、話がしにくくなったこと。そして最後は組織が崩れてお花で隠してあげないといけないほどの状態になってしまったこと。

ちなみに、父は若い頃から「俺はガンで死ぬ」と宣言していた。そして自分ひとりの分だけガン保険にも入っていた。そして口癖は「認知症だけにはなりたくない」と。皮肉なもんだよね。。。




2017.11.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 母の入院



母の病状、その後

今日は久しぶりに母の通院に付き添ってきた。入院前は毎回いっしょに行っていたけれど、退院以来、「勝手知ったる場所だから一人で行けるわ!」と言うので、ひとりで行ってもらっていた。その度に電話で報告は受けていたものの、母の話だと今ひとつよく分からないのと、たまたま今日は午前中に都内で取材があったので。


気になっていたのは、最近母が「口の中が痛くてものが食べられない」と言っていたこと。通院の度に訴えても「薬はつけられない」といって取り合ってもらえないという。最初は放射線の後遺症で腫れているところにたまたま傷がついてしみているのかなと思っていたのだけれど、もうずいぶんたつのに全然治らないというのはおかしい。

そういえば、退院前に私だけが説明を聞いたとき、医師が「放射線治療の終了後1カ月ぐらいすると、残ったガンが大きくなり出して腫れて、今度は痛みが出てくると思う」と言っていた。8月に退院して10月ぐらいまでは何も言ってなかったので、もしかしてほとんどガン取り切れちゃったの?なんて楽観してたけど。

今日聞いた話によると、やはり今の腫れと痛みはガンが大きくなり出したからなのだろうということ。なので薬をつけたからといって治るものではなく、いかに大きくするのを遅らせるかという話になる。そのためにできることとしては、現在飲んでいる経口の抗がん剤を、続けられる限り続けることだけ。

幸い、今のところ、肝臓にも骨髄にもほとんど影響が出ていないので、しばらくは続けられるっぽい。ただ、これが使えなくなったときは、それ以外の抗がん剤は副作用が強いのでやめた方がいいという。つまり選択肢はもうない。

今後も月2回ぐらいのペースで通院しながら、血液検査で抗がん剤の副作用を計りつつ、症状によって痛み止めをもらうという緩和的な処置を受けていくことになる。そうしながらも、いずれはどこかに転移することになり、それも治療はできないので緩和ケアしかない。

というストーリーは、前にも聞いていたことと変わらないのだけど、確実にカウントダウンに入ってることは覚悟した方がいいらしい。

医師曰く、半年か1年か。「今日明日にどうとうことはないですが、春先から夏頃には、ん?という感じになってくるんじゃないかと思います」と。

詳しい話は母には外に出ていてもらって私だけが聞いたのだけれど、母も「思ってたより深刻なのね」と言っていたので、「治らない」ということはなんとなくは理解したようだ。母自身は放射線治療を「がんばった」から、「もうすっかり治った」気でいたので(「0にはならないよ」という話はさんざんしたんだけど)、やはりショックではあるみたい。

「あと2年ぐらい生きられれば、もういいわ」という母。うーん、そこまで持つんだろうかと、複雑な思いで聞いていたけど。

医者はみんな「最悪のパターン」で言うから、実際はもっと長くってこともあるんだとは思うけど、ほんと覚悟はしなくちゃだな。冷静なつもりなのに、手がブルブル震えてたり、胃がきりきりしてきたり、意外に軟弱な自分にビックリだ。

願わくば、普通に自宅で過ごせる日が1日でも長く続くこと、その先も苦しんだりしないですみますように。これから死の不安に立ち向かうことになる母を、精神的にどう支えてあげられるのか。そんなことを考えながら帰って来た。

さあて、これからこの話を姉にも伝えなければ。彼女は私よりもっとショック受けるんだろうなぁ。。。



2016.12.20 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 母の入院



とりあえず、一件落着。

今日は、わが家の4人に姉も加わり、母の退院祝いをした。


最初は実家でと思ったけれど、お寿司など取るにしても母が「何かしなければ」とそわそわするみたいなので、外食をすることに。

この猛暑の中、老人を池袋まで出てこさせるわけにもいかず、自宅付近で場所探し。合計7人となると車には一度に乗れないので、電車+徒歩でアクセスできるところ……という条件で見つけたのが、自宅の最寄り駅からは数駅離れた駅から徒歩4分の和風懐石のお店。ホテルの中なので駐車場も問題なさそう。実家からは車で30分程度だ。

朝、自宅を出てまずは実家へ行き父と母を拾いお店へ。電車で来た娘たちとバッタリ会って、定刻通りに会食開始。

大した料理ではなかったけれど、まあ一応それらしきお膳を囲んで、個室だったし、落ち着いて話ができてよかったかな。

病院で4kg太ったという(退院のときは3kgと言っていたけど、帰宅して計ったら4kgだったそうだ)母は相変わらず超元気。確か味覚は「3段階の1ぐらい」と言っていたはずだけど、「この天ぷらおいいしいわ」とか、もりもり食べてた。

お会計を持つと言い張る父をなだめて、食費はうちと姉とで折半。秋の父の誕生日には、2人の米寿のお祝いを兼ねて、母がみんなにごちそうしてくれるそうだ(笑)。

ということで、春からバタバタと続いた母の入院騒ぎも一段落。この先のことは分からないけど、とりあえず1カ月程度は何ごともないはずなので、予定通りフランスには行けそうだ。ありがたや。。今思うと、退院してMRIの検査を受ける(そこでおそらくガンが取り切れてないことが判明する)前の小休止のような期間という絶妙のタイミング。神様、本当にありがとう!

父の誕生日は11月23日。そのときも、あいかわらずみんな元気でいられますように!


2016.08.21 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 母の入院



ついに母退院

昨日、ようやっと母が退院。

その日の午前中で放射線治療が終わるので、お昼過ぎならいつでもOKということで車で迎えに行った。

1カ月半もの長期入院だったので、荷物がたくさん。とても電車とタクシーでなんか帰れなかった。「●●さんが会社辞めててよかったわ~」って、ほんとだね。

結局入院中はずっと元気で、最後まで病院食を完食し、3kgも太っちゃったそうだ。運動不足とはいえ、病院食だけでそんなに太るものなのか?!

そんな姿を見ていると、このまま病気も退散しちゃうんじゃないかという気がしてくる。

看護師さんやら、入院仲間やらに嬉しそうに挨拶して歩く母。見た目まったくピンピンしてるので、きっと「あのおばあさん、なんで入院してるんだろう?」って怪しまれていたのでは。看護師さんからは、「ずいぶんボランティアしてもらって助かったわ~」と言われたとか。まわりの動けないおばあさんたち(といっても母が一番年上)の分の配膳とか手伝ってあげてたらしい。患者さんのひとりには「大主(おおぬし)さん」と呼ばれたし(笑)。

終始ゴキゲンだったのに、車が実家に近づいてくると、「ああ、なんだか気が重くなってきたわ」だって。父が待ってるからね~。。。

とりあえず昨日は、うちのダンナもいたし、顔を見るなりケンカ!ってことはなかったけど、きっと今頃はまたバトル始めてるんだろうなぁ。父も、私や姉には遠慮して我慢してたこともいっぱいあっただろうし、きっと母の顔見たらワガママ言いたくなるに違いない。(お泊まり保育から帰って来た幼稚園児が、家でワガママ三昧するのと同じ?)

まあ、ふたりにとってはそれが日常なんだからしょうがないけど、できるだけ平和に暮らしてほしいもんだ。




2016.08.17 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 母の入院



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