やりきったから、胸を張る

昨日の記事を載せたとき、埋め込んだ動画の幅が大きすぎてレイアウトが崩れちゃうので、この機会にテンプレートを替えてみた。いじったのは何年ぶりだろう???


ところで、引きずりますけど、真央ちゃんネタの続き。

記者会見を見て印象的だったのは、とても清々しい笑顔だったこと。マスコミ的には「金メダルが取れなかったのが心残り」とかいうコメントを期待していたのかもしれないけど、そんな言葉はみじんもなく、「やりきった」「悔いはない」「すっきり」と、繰り返し堂々と晴れやかに語った姿は、とってもカッコ良かった。

「こんな結果になるのなら、復帰なんてしなければ良かったのに」と思っている人は多いと思うけど、本人的には、「もっとできたかもしれない」という思いを引きずったまま辞めていたら後悔しただろうけど、実際にやってみてダメだってハッキリ分かったから、それで良しと。

彼女が休養中に出た番組で伊藤みどりと対談していたとき、伊藤みどりが「長野を目指して復帰して、結局その夢は叶わなかったけど、全く後悔はしてない」と言っていて、その言葉が迷っていた真央ちゃんの背中を押したんだろうなと感じた。結果的にまったく同じ道をたどってしまったけれど。

今回の引退フィーバーで、結果が残せなくても夢をあきらめずにやるだけやったら胸を張っていいということが、今後の若きアスリートたちにも伝わればいいなと思う。

ところで、この世間の大騒ぎっぷり。心理学者とかのコメントまでひっぱってきて「浅田真央はなぜこんなにも愛されたのか」なんてウンチクをあちことでやっているのを見ると、まるで、冬ソナブームのときみたい、とか思ってしまう(笑)。

あの記者会見のことを、「卒業式を見守る心境」と話していた人がいたけれど(地元の人だったかな)、言い得て妙。今年は桜が遅くてウチの方はまだ咲いているので、よけいにそんな感じ。

正直、フィギュアのブームも今後は少し落ち着いていくのかなと思う。男子は強くて人気だけど、やはり一部のマニア中心の範囲は出ない気がするし。ファンとしては、真央2世と騒がれて真凛ちゃんとかがつぶされてしまわないことを祈るばかり。



2017.04.13 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 時事ネタから



真央ちゃん引退

テンプレート替えました! 間違えたと思って、ビックリしないでね~!

スルーしようかと思ったけど、やっぱり書いちゃおう(笑)。

一昨日の夜、寝る前にスマホいじっていて、引退発表の一報を見た。そして昨日今日、私のTwitterのタイムラインがそのニュースで埋め尽くされるのは当然としても、テレビとか新聞とか世の中全体がほぼそれ一色みたいになってるのにはちょっと驚いた。

母に電話したときも、痛いのなんのと文句ばっかり言ってたかと思ったら、「そういえば、真央ちゃん引退しちゃうのよ。あんた知ってる?」ときたもんだ。そのとき機嫌悪かったので、「それどころじゃない」と突き放しちゃったけど(苦笑)。

今日ジムのお風呂に入ってるときも、おばさんたちが「昨日からこのニュースばかりだけどさ、そんなに取り上げるほどのことなのぉ?」とブツブツ言ってた。

記者会見の真央ちゃんは、とてもきれいだった。絶対に涙は見せたくなかったのね。どんな質問も落ち着いてハキハキ答える姿をみて、大人になったなぁとしみじみしてしまったり。みんなそんな目で見てるのかも。

テレビでは繰り返しいろいろな映像が流れてるけど、私の思い出の演技を挙げてみると。

まずは2010年バンクバー五輪のSP。「仮面舞踏会」

バンクーバーのときは、フリーの鐘(まっ赤な衣装のやつ)の映像ばかり、それも「トリプルアクセルは成功するものの、後半のジャンプで失敗して」のように紹介されることが多いけど、その前にやったショートプログラムではノーミスの会心の演技。初めてのオリンピックでうれしくてしょうがないという雰囲気がにじみ出てて、とてもかわいかった。演技後氷でぴょんぴょんはねて。

次は2011年全日本のフリー「愛の夢」


このときは寸前にお母さんが亡くなって、会場のみんな(テレビの前もね)が「真央ちゃん大丈夫かな」って祈るような目で見守ってるのがひしひしと伝わってくる中で、すごく優しい笑顔で天女のように滑っていたのが印象的。

そして、2014年、ソチの直後の世界選手権で当時の歴代最高点を出したSPのノクターン。


もちろん、「鐘」やソチフリーみたいな強い真央ちゃんもシビれるけど、可憐なのが好きなのかな。

これからもショーでは滑ると思うけど、真剣勝負が見られなくなるのはやっぱり寂しいかな。でも、実際これ以上は無理だと思うし、もう悲しそうな顔は見たくないから、ちょっとほっとしたりして。

何はともあれ、お疲れさまでした。そして、ありがとう♪





2017.04.12 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 時事ネタから



「できるだけ1回で受け取りませんか」キャンペーン

最近話題の宅配の再配達問題。


元はといえば、去年の年末に荷物の急増の負荷に耐えきれなくてうんぬんという話を聞いたのが始まりだったように思う。

年が明けてからは、通販の利用が増えすぎて、もうそもそも危機的状況になっているというニュースが盛んに聞かれるようになった。で、ヤマトがAmazonに値上げ交渉するとか、時間指定サービスを見直すとかの流れに。並行して、宅配ボックスを増やすという計画も見聞きしたり。

ネットではヤマトのブラックぶりが話題になっていたりしたけれど、大手メディアでは報道されることもなく、つまりヤマトが非難されることはなく、「ヤマトも大変なのね」というイメージが広がって、サービスの低下や宅配料金の値上げもやむなしというムードになっていたのは、ヤマトが水面下でいろいろがんばっていたのだろう。

5年ぐらい前に、仕事で当時のヤマトの社長の講演を聴く機会があった(掲載された記事はこちら)。記事の中にはないけれど、このときにも「人手不足は深刻な問題で、これをどう解決するか全社を挙げて取り組んでいる」というような話があった。いかにして、社会の反発を招かずに料金の値上げやサービス内容の見直しを計るか、考えに考えての上だったことがうかがえる。

そして今度は、環境省のキャンペーンまで出てきたのにはビックリ。


再配達に費やされる無駄な労働力やトラックのCO2を減らすために、国民一人ひとりが、再配達してもらわなくてもいいように、工夫をしてみませんか?ということらしい。

政界や霞ヶ関にも働きかけをしてきたのか、労働力不足や環境政策のためにお役所がこの機会を利用したのかは謎だけど。

そうした「根回し」のうまさはあったにしても、利用者の方も「ちょっと便利すぎたよね」って感じちゃう部分があったのも事実なのかなと思う。

Amazonとかたかが数百円のものを送料無料で届けてくれて、こんな便利なことはない。でも、心のどこかでちょっと罪悪感みたいなものもあったような気がする。手の平に入るような小さなものも、両手で抱えるような大きな箱に入ってきたりするのも含めて、便利とひきかえにすごく無駄なことをしているのではないか、それって無理があるんじゃないの?という心理が、きっと多くの人にあったのではないか。

夫婦で通販使いまくりのわが家としては、ヤマトが大変と言われると、その片棒を担いでいるような気がしてしまったり。送料無料とはいっても、なるべくまとめて頼むようにしようとか。うちの場合ほとんど在宅だし、宅配ボックスもあるから、再配達を頼むことはほとんどないんだけどね。

しかもクロネコメンバーズに登録しているので、相手も登録してる業者からの荷物などは、前日に「明日お届けします」というメールが届く。都合が悪い時間があれば、あらかじめそのURLにアクセスすれば、自分の方から受け取る時間を指定できる。

ヤマトでは、このほかにもあらかじめ都合のいい曜日や時間帯を登録しておける「MYカレンダ-サービス」とか、配送状況をLINEで確認できるサービスとかもやっているので、再配達を減らすために、自社でできる限りのことはやってきたのは確かだと思う。

クロネコメンバーズのことはずいぶん前にここにも書いたと思うけど(こちら)、登録しておくと、荷物を出したり受け取ったりするだけで「クロネコポイント」がもらえて、マイルにはならないんだけど、わが家はもっぱらアルプスの天然水を半年に1箱ぐらいもらってる。他にクロネコオリジナルグッズとか、抽選で旅行券やルンバとかがもらえるみたい。

ヤマトをよく利用する人は、便利だしお得だし、登録しておいて損はないと思うよ~。

あれ、最後は宣伝になっちゃった。通販ラバーとしてはこれからもお世話になるので、がんばってもらわねば。

2017.04.05 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 時事ネタから



認知症社会

さっきNHKでやってた番組。


私たちのこれから #認知症社会 ~誰もが安心して暮らすために~

団塊の世代が75歳以上になる2025年をターゲットに、そのとき今の日本の高齢化社会がどうなっているかということを考える特番。日本人の9人に1人は認知症で、高齢者に限ると3人に1人という計算になるらしい。

そうなると、認知症の人の引き起こす事故などの数も増えて、自分の身近にいなくても、日本人みんな他人事じゃなくなるよ、という話も。とにかく社会全体で考えていかなくちゃいけない課題なんですよという問題提起的な番組だった。

介護してる人、医者、施設の人、認知症の本人、いろんな立場の人を招いてのスタジオ討論に、オランダの例などの取材映像もあった中で、「認知症」と診断されたときの絶望感(本人も家族も)が、診断を受けることをためらわせるみたいな話も出てきた。

確かに、治らない不可逆的な病である以上、それを認めるのは辛いことだ。ただ現状は、「認知症」という線引きの与えるインパクトが大きすぎることも問題なのかなと思う。

父の経験で思うのは、ある日突然発症するものではないし、病気かそうじゃないかという白黒のある問題じゃなくて、すごくグラデーションのあるものなんだと思う。年齢によっても事情は違うだろうけど、特に父のように90近くなってからの場合は、ある意味「年相応のボケ」としてとらえられる部分もある。

ある年齢以上になったら健康診断の項目に全員認知症の検査も入れれば良いのにと思う。全員が受けるものとなれば、自尊心から検査を受けたくないという人も抵抗が経るのでは。早い段階から気をつけることで進行遅らせることもできるかもしれないし。

近い将来、いずれはそういう時代が来るのかもね。



2017.03.26 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 時事ネタから



延命治療、する、しない

ガンの母、認知症の父を抱えて、最近にわかにリアリティが出てきた延命治療の問題。


今日目が止まったのは、こんな記事。
「死ぬ権利」は必要なのか――尊厳死法制化の是非を問う

尊厳死を認める法整備への論議が進むなか、尊厳死協会の理事を務める医師、看取り経験のある家族の代表として日本ALS協会の理事、そして精神科医の3人が意見を述べている。

この3人は、尊厳死へ賛成、反対、中立のそれぞれ代表として選ばれているようで、それぞれの意見は次の通り。

・罪に問われることを恐れて不要な延命治療をしてしまうことのないよう、早急な法整備が必要
・法制化されたら、患者が尊厳死を望まない、もっと生きたいと言えなくなってしまうキケンがある
・治療がすべてという医師、患者双方の固定観念を問い直して、死に対しての考え方を医師と患者が共有する機会をもつべき

この手の問題は、とにかくケースバイケースで、万人に通じる正解なんてないんだと思う。

末期癌の母も、「胃ろうまでして生きたくないわ」と今は言っているけれど、このまま口が痛いのが治らなくて食べられないとなったとき、胃ろうをしなければ死ぬという現実に向き合ったらなんて言うのか。

今の文句言いたい放題の、ある意味元気な母をみていると、「胃ろうなんて、しない方がいいよ」と私も言い切れるのか。

「あと2年生きればいい」と言いながらも、東京五輪までは当然生きてるものだと思ってる母。本当に口から食べられなくなったときには、そこに至るまでの衰弱を体感して、「もういいわ」というのかなあ。

改めて、こういうことはその場になってみないと、当事者になってみないと、何とも言えないなぁと思う。願わくは、そういう選択を迫られるときに、医師の方が、冷静に、でもこちらの気持ちもよく理解して、説明や提案をしてくれるといいなぁと思うばかり。

2017.02.08 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 時事ネタから



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