乳がん検診。次からは違う病院で。

昨日は半年に一度行っている乳がん検診でエコーの検査を受けてきた。今回も「異常なし」。


健康診断で異常が見つかり、精密検査を受けたら乳がんと告知され、でも3日後に「間違いでした」と言われ、でも結局そのまま摘出手術を受けたという騒動があったのが2010年の秋(詳しく知りたい人は、←のカテゴリから「乳がん疑惑」をどうぞ)。もう6年半もたつんだわ。

以来、手術をした病院に検査に通っていたのだけれど、いかんせん遠い(中目黒)、待たされる(3時間)。さすがに大変なので地元の病院で検査を受けたい旨を先生に相談してみた。

提示されたのは柿生にある提携病院での受診。そういえば、乳がん前提で話を進めていたとき、「術後の放射線治療は毎日通うことになるからそちらの病院でも」と言われたっけ。その病院なら毎月2回同じ先生が行っているので、引き続き診てもらえるという。

私としては、普通に検診をやっているその辺の病院で、、と思っていたので、柿生って中目黒よりは近いけど、面倒臭いなという気持ちもあったけど、「高リスク病変ですから」と言われると従っておいたほうがいいのかな。(この先生は、未だに私の病変は「かぎりなく黒に近いグレーだった」と思っている)。まあとりあえずそこに通ってみて、やっぱり混んだりして大変そうだったら、また考えよう。

次回は半年後にマンモグラフィー。3カ月前にならないと予約はとれないので、1,2カ月前になったら電話して予約を取るそうだ(忘れそうなのでメモ)。今回もらったデータのアウトプット封筒を忘れずに持って行かないと!

昨日も3時間半待たされてグタグタに疲れて帰ってきて、今朝起きたら、夜中に次女からLINEでヘルプが来ていた。

22日から転職先の会社に通っているのだけれど、またリンパ節炎だか扁桃炎だかがぶり返し、先週末から高熱が続いている。解熱剤を飲めば下がるけど切れると上がるの繰り返し。地元の内科、うちの近くの耳鼻科、会社の近くの耳鼻科、地元の内科と繰り返して受診しているけれど、状態は良くならず。こちらも心配。

そしてスマホには夜の着信が2件。母だ。病院の待ち時間中にも一度電話があって話をしたのだけれど、さすがに余命が気になりだしたらしく、グズグズ言っていたのでその件か。。と気が重くなる。

そして、クライアントからは今日のお昼までという急ぎの依頼も入ってた。

あ~、あっちも、こっちも、そっちも……。「やれやれ」とかハルキっぽくつぶやきたくなる。
自分の癌が見つからなかっただけでも、ありがたいと思わないとね。


2017.05.31 | | コメント(1) | トラックバック(0) | 乳がん疑惑



読書録:『震災が起きた後で死なないために』


清掃登山など環境活動でも知られる、アルピニストの野口健さんの本。

東日本大震災のときの支援、現地で登山中に遭遇したネパール地震での現地支援の経験を経て、熊本地震でテント村を運営した話を中心に、災害時の対応について持論を述べている。

東日本では物質を送り届けるだけの立場だったのが、ネパール自身で自分も恐怖を体験し、仲間のシェルパたちが被災する中での支援という経験をして、熊本では自分が避難所を運営する立場で、直接被災者と過ごし、支援物資を受け取る側にも回った。そんな多角的な視点から語られる「よりよい避難所」への提言はすごく説得力がある。

熊本では、以前から付き合いのあった岡山県総社市とタッグを組んだことから、非常時での自治体としての動き方などについても踏み込んだ指摘をしている。

「こんな風にうまくいきました」という話だけじゃなくて、うまくいかなかったこと、批判を受けたことなども正直に明かしているので、単なる成功談にとどまらないリアリティが伝わってくる。

本人も認めているように、熊本のテント村避難所が100%うまくいったわけではないかもしれないけど、「ベストよりベター」という考え方は必要なんだろうし、ここで挙げられた実例を踏み台に、それぞれが工夫して「よりよい避難所」につながっていけばいい。そういう意味で、多くの人に、特に自治体に携わる人には、ぜひ一読してもらいたいと思う。

この本では、一人ひとりの防災という意味で、テント体験のすすめということに触れている。うちのアウトドアグッズはみんな手放しちゃったけど、昔しょっちゅうキャンプに行った経験は、いざというときに役に立つかな?


2017.05.30 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



読書録:『寝るまえ5分の外国語』


一言でいえば、語学書の書評を集めた本。とはいえ、自分の学習用に役立つ参考にしたいなどという期待にはほとんど応えてくれない。そもそも扱っている言語が、スワヒリ語とかアラビア語とかグルジア語とか、まあよくもそんないろんな言語の語学書があるもんだと感心するぐらい多岐に渡っている。しかも、その内容についても、イラストや例文のストーリーにツッコミを入れたりと、かなり本筋とはずれた部分も多くて、実用性というよりは、軽い読み物として流し読みして楽しむという感じ。

著者自身も、書評というからには、これを読んだらその本を読みたい!と思わせるようなことを書いたつもり……と言いながら、でも、まあ笑ってくれればいいか、などと書いているので、編集者としての意図もそんな感じなんだろう。

あ、ただこの本の出版社である白水社のシリーズが何冊も取り上げられているので、それらの特徴が分かる点は多いに参考になるかも。「~語のしくみ」とか「~語のかたち」とか「ニューエクスプレス」とか、初心者用にはよさそう。(ということは出版社としては、立派な実用本だ!)

この著者の本を読むのは、もう何冊目になるのかな。読書録を書いただけでも2冊。

『外国語を学ぶための言語学の考え方』
『語学はやり直せる!」』

それ以外にも『ロシア語のかたち』『ロシア語のしくみ』のどちらか一方、もしくは両方読んだかも。

そもそもはロシア語の読み方とか、語学学習の実用的な話題を求めて読み始めたんだと思うけど、独特の「外国語学習オタク」っぷりキャラに惹かれて、どんどん非実用的な本にも手を出している気がする(笑)。

前の読書録でもたびたび書いているように、著者の黒田さんという人は、スラブ系の言語を専門とする学者さんのようなのだけれど、かなり手広くいろいろな言語に手を出している。学者さんに「手を出している」なんて失礼だけど、趣味が高じて……としか言いようのない外国語習得熱は、その表現がたぶんピッタリな感じがすると思う。

それを隠すこともなく、見知らぬ言語の世界への愛とロマン?を熱く語る著書の数々は、けっこうファンがいるようで、Amazonでも好意的なレビューが並んでいる。もちろん、ベースは多国語学習に関心のある人(実際にしゃべれるようになるかどうかは別として)。つまり、著者の「ロマン」をある意味共有できる人であれば、楽しく読めるという事なんだと思う。

旅行の行き先にあわせていろいろな言語にトライしてみよう!と思っちゃう(挫折したのもの多し)私なので、ロマンの「ロ」の字ぐらいは分かる気がする。なので、斜め読み、いや、横読み(まさに著者がいうところの、「ページに風を通す」ぐらいの読み方で、熟読はしてないけど、それなりに楽しめましたということで。



2017.05.29 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



読書録:『「とりあえず」は英語でなんと言う? 』


日本語も話せるようになった英語ネイティブが、日本人が会話で普通に使っている言葉を英語で言うとしたらどんな表現がぴったりするか?という視点で(自ら日本語で)書いた本。

「いただきます」「お疲れ様」というこの手の本によくある表現のほか、「キモイ」とか「~的な」みたいな、いわゆる若者言葉も取り上げているのが特徴的。単に候補となる英文を挙げるだけでなく、自分がその日本語と出会ったときにどう感じたかとか、意味がよく分からなかった日本語とか、著者自身の体験も交えて書いている部分が親しみやすい感じ。

紹介されている英語そのものは、それほど目新しいものは多くなくて、簡単なものが多く、日本語のニュアンスとちょっと違うんじゃないかなぁと感じる部分もあったけれど。

逆に言うと、その英訳ではその日本語の意味とはちょっとズレがあると感じられるものほど、そういう概念が英語ネイティブにはないということでもあり、その点は興味深かった。たとえば、「甘える」と「甘やかす」の違いがよく分からないとか。筆者曰く、そもそも「甘える」に該当するズバリの英語はないという。

そういうのって、この前ちょっと書いた対照言語学的に言うと、日本人と英語ネイティブのメンタリティの違いが出てきて面白いなぁと思う。

筆者はイギリス人の父とアメリカ人の母を持ち、イギリスに生まれ13歳からアメリカで育ったというプロフィールの持ち主なので、イギリス英語とアメリカ英語の両方が紹介されている。ただ、あくまで「ネイティブはこう言う、言わない」という観点なので、私のように別にイギリスやアメリカで生活しようというわけではなく、世界中の人とのコミュニケーションツールとしての英語を身に付けたいという人間にとっては、スラングとか覚えてもあまり意味がないので、その辺は流し読みしてしまったけれど。

それはともかく、これだけの本を日本語で書けるわけだし(日本人ネイティブに見てもらっているらしいけれど)、言語感覚に鋭い人なんだろうなと思う。ふんふんと読み物として読んでもそれなりに面白い。

そもそもは、Webで公開したものを本にまとめているのだと思うので、興味のある人はまずはWebを見てみるとよいかも。

英語 with Luke




2017.05.28 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



読書録:『モネのあしあと』


最近よく読んでいる原田マハの本。タイトル通りモネを中心とした印象派絵画についての初心者向けのガイドブック的な内容。

モネの生涯や、印象派が生まれてきた時代背景とその特徴などを分かりやすく解説している。特に印象派についての説明は、浮世絵の影響も含めて、写真入りで具体的に書かれているので、とても分かりやすいと思う。

個人的には、去年の9月にオルセー美術館、オランジェリー美術館、ジヴェルニーのモネの家、ニース郊外のルノワールの家など、まさに印象派をめぐる旅をしたので、その前後で何冊かの本も読んだ、だいたいは知っている内容だったけれど、あちこちで読み散らかした情報をスッキリシンプルにまとめてくれているとうい意味で、飽きずに読んだ。

同じ著者が書いた『ジヴェルニーの食卓』についても触れられているので、これを読んだ人はその部分も興味深いかも。

私が旅したような、印象派をめぐる旅をしたい人には特に、これ1冊読んでおくのがオススメです。



2017.05.27 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



久々の整骨院

3月9日に、まな板を落っことして折れてしまった足の指。一向によくならなかったのが、1カ月後に整骨院に毎日通い出して治療に励んだ結果、なんとかGWのイタリア旅行も行くことができた。


整骨院で出直し治療
スポーツジムで湯治
整骨院通い一週間

旅行はソフトタイプの固定具を付けたままだったんだけど、帰ってきた頃にはほぼ大丈夫な感じだったので、帰国して2日後に整骨院に行って相談、無事固定具とサヨウナラ。

しばらくは、びっこひきながらではあったけどどんどん回復。今は普通に歩く分にはほとんど問題なくなった。何もしてないときにズキズキすることがあるけど、これはもうずっと続くのかも。

ただ、ちょっとたくさん歩くと、足の甲が腫れてしまう。固定具をはずして1週間後ぐらいに整骨院で相談してみると、まだ指をかばってる分、甲に負担がかかっているので炎症を起こしていると言われた。

昨日も久々の取材で出かけたせいか、夜帰ってきたときは左足だけ象みたいにむくんでしまった。リンパマッサージをしたりしてむくみは和らいでも、今日になってもまだ甲は腫れているので、再び整骨院へ。今日の先生曰く(毎回違う)、足の裏のアーチ(土踏まず)がつぶれてしまっている、つまり扁平足に近い状態になっているせいで、甲に負担がかかるのだろうと。固定具をつけて歩いている間だに、足裏の筋肉が弱っちゃったらしい。

それについては、おいおいリハビリをしていくしかないみたい。リハビリ=通ってねってことぽいけど、旅行までに治す!と必死だったころの熱意はないから、通えないかな。リハビリといっても、たいしたことするわけじゃなさそうだし。

今日行ってみたのは、もうひとつ目的があった。それは外反母趾の相談。前からここでも何度か書いてるけど、外反母趾になりかかっているせいで、長く歩くと親指の横のグリグリや骨のあたりが痛くなる。それが、今この状態だと少し歩いただけでも左足は痛くなってしまう。

外反母趾の治療だけだとたぶん保険外になってしまうけど、今この骨折治療の流れで続ける限りは保険が効くらしいので、今のうちにそっちの相談もしておこうと。

ざっと聞いた話では、外反母趾とは歩くときに外側重心になっちゃうことが原因だという。放っておくと親指横の関節が曲がった状態で固まってしまうのでやっかいなことになる。うちの母なんて、90度曲がっちゃってる。外科手術もあるらしいけど、かなり大変で痛みもあって、それで完治するとも限らないみたいで、辞めた方が良さそうな感じ。と聞くと、悪くならないうちになんとかしなくちゃと思う。

今日の段階では、腫れてる状態だからと何もしてもらえなかったんだけど、状態によってはテーピングとかもしてもらえるらしい。先生曰く、足の指にはめるタイプの外反母趾グッズなどは筋肉を弱めてしまうのでオススメしないとのこと。あとは、親指と拇指球、踵で地面を蹴って歩くように心がけること。言うや易し、、なんだけど。

この整骨院では、最後にいってから1カ月たっちゃうと初診扱いになってしまうみたいなので、また様子を見て、1カ月以内に行ってテーピングの方法でも習ってこようかな。


2017.05.26 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 骨折



ログインにまつわる「あるある」狂想曲

ネット依存な人間にとって、膨大な数のIDやパスワードの管理はかなり面倒臭いもの。今日は、いざというときにログインできなくて大汗、、という、きっとみんな経験したことがありそうな話。


今朝の日経新聞にデカデカと載っていたこのコンサートのチケットを買うことにした。

スーパーソロイスツ

ピアノとバイオリンの3人のソリストがそれぞれオーケストラと競演するコンサート3回シリーズ。みんなご存じの辻井伸行に加え、大河ドラマ真田丸のオープニングテーマで有名になった三浦文彰、あともうひとり服部百音という女の子。

すでに先行発売が始まっているけど、それぞれバラのチケットは、やはり辻井君のは売り切れ。正式発売は土曜日だけど、瞬殺は間違いないと思われる。でも3回セット券なら、今先着で買えるというので、ええい、買っちゃえ! 

受付はチケットぴあか、電話。ぴあはアカウント持ってるしと、ログインしようとしたら、できない。ええええ。おかしい。これ以外のパスワード考えられないんだけど。控えのメモにもそう書いてあるし。でも何度やってもダメ。「パスワードお忘れの方はこちら」をクリックして再設定しようとしても、そんなアドレスでは登録されてませんみたいに出てきちゃう。えー、もしかして、昔使ってたアサヒネットのアドレスで登録しちゃってた? そういえば、最近イープラスばかりでぴあ使ってなかったかも。

面倒臭いから、新規登録しなおしちゃえと思っても、あんたはすでに登録済みだから二重登録できないよと怒られてしまう。

唸っていたら、じゃあ、ダンナの名前で登録すればいいじゃん→同じく登録されててNG→IDとPW思い出せない→会社のアドレスで登録してたっぽくて再設定できないと、同じループに突入。

これはもう、買うなってことか、、、とあきらめかけたとき。

ふと、思い立って、メルアドをIDにしてみたら、普通にログインできた。あれれれー。さっきはそのアドレス登録されてないって言われたのに(コピペしてるからミスタイプのはずはなし)。

なんだったんだろー。

でもきっと、焦ってななんかヘンなことしてたのね。パニックになると判断力も思考能力も落ちるのが私の最大のウィークポイント。

結局買えたから良かったんだけどね。あー疲れた。

コンサートは、7月と9月と1月。そんな先のこと、どういう状態になってるか分からないけど、仕方ない。海外旅行と違って、これならいざとなったら、行きたい人に譲ればいいし。

今思うと、ぴあっていつのときか、ログイン方法が変わりました、、みたいなことがあったような、ないような。

こんなことがないように、改めてIDとパスワードの管理はきちんとしましょうね(自戒を込めて)



2017.05.25 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 日々のできごと



読書録:『英語の発想』


英文学研究者による、日本語と英語との比較に関する、いわゆる対照言語学の観点から書かれた本。英語の文をどんな風に和訳するか、逆に日本語の文をどう英訳するかという実例を挙げながら、両言語の特徴を解説していく。

学者先生の本なので、いろいろな研究者の引用があったり、内容的にはかなり理屈っぽい本ではあるのだけれど、素人が読んでも比較的読みやすく、最後まで興味深く読んだ。

ある英文を直訳した日本語と、こなれた日本語に直したものとを並べて、そこにはどんな修正点があるのかというポイントから、両言語の違いをあぶり出していく。

まず挙げられている指摘は、英語は名詞中心、日本語は動詞中心の構文が特徴的であるということ。このことを踏まえると「この事実の認識が問題の解決に貢献する」という直訳英文の名詞部分を動詞として、「これが分かれば問題はずっと解決しやすくなる」としてやると、日本語として落ち着くとか。

英文はそもそも「動作主」+「他動詞」+「目的語」という構文が基本なので、この「動作主」と「目的語」のところに置かれている名詞句を動詞構文とすることで、日本語として読みやすくなるなど、翻訳をする際に参考になりそうなポイントがいくつか出てくる。

面白いなと思ったのは、受け身と受動態についての部分。英語の受動態は必ず他動詞でなければ成立しないけれど、日本語の場合は自動詞も受け身として使われるという点。「親に死なれる」というときの動詞「死ぬ」は自動詞なので、これを直訳して「I was died by parents」とは言えない。

そのあたりに、日本語での「受け身」というのが、いわゆる文法的な受動態とは違うニュアンスを併せ持ち……というあたり、日本語の奥深さに唸ってしまう。というか、日本語ネイティブでさえ、そのヘンは感覚的には分かっても理屈では説明しにくいので、日本語を学ぶ外国人は分かりにくいだろうなと思う。

そのほか、代名詞の使い方とか、時制の一致のこととか、英語との違いをみながら、日本語の特徴が分かるのはなかなか面白かった。

この対照言語学というのは、最近注目されている領域らしく、ちょうど去年の暮れあたりに某大学で中国語と日本語の対照言語学を教えている先生の話を聞いて、面白いなぁと思ったところだった。言語というのは、それを話す人のメンタリティが現れてくるものであるから、言語を比較することで、それぞれの言葉の話者の文化や概念、感情的な違いとかが見えてくる。

万人が面白いと思う内容ではないと思うけれど、この手のマニアックな趣味がある人にはおすすめです。

2017.05.24 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



行きたいところを並べてみる!

 寸前まで行けるかどうかハラハラしたイタリア旅行も無事終わって、ほっとしたばかりだけど。母の余命は「月単位」と言われた今となっては、ダメ元で計画して、行けなかったら諦める!というわけにもいかず、さすがにしばらくは海外旅行の計画もおあずけだ。


マイラーとなってから、ここ何年かはずっと1年先の予約が入っている状態だったので、予定がまったく入ってないというこの状態は、なんとも寂しい限り。

実際に旅行に行っている間だけじゃなくて、人の旅行記やテレビ番組を見てどこに行こうかなぁと思い巡らせたり、計画を立てたり、その国に関連する本を読んだり、旅のシーンを想定して英語やフランス語やイタリア語を勉強したり。日々自分が楽しいと思ってやってたことは、全部海外旅行に通じることばかりだったことを、改めて思い知る。はー、何を楽しみに生きて行けばよいのやらと、頭で考えていた以上にガッカリっぷりが半端ない。もうひとつのお楽しみのフィギュアスケートもシーズンが終わっちゃったし。

でも。もちろん、これで一生行けないわけじゃないし。そんな自分を慰めるために(笑)、いつか行きたいところをリストアップしておくことにした! 書いておけば、叶う確率が上がりそうな気がして。

・シチリア
・クロアチア
・バスク
・カナダのメープル街道
・コルシカ
・ハンガリーとか東ヨーロッパ
・アイスランド

もっとピンポイントに言うと……
・オーロラを見る
・パリのオペラ座でバレエを観る
・ノイシュヴァンシュタイン城(ミュンヘン郊外)
・スリランカでアーユルヴェーダ三昧

本当はマチュピチュとかイグアスの滝とか南米や、アフリカで野生動物を観るとかも夢だけど、これから先もっと年を取ることを考えると、むずかしかなぁ。お金も時間もかかるから。イスラエルも行ってみたいけど。

あと半年ぐらいすれば、またフィギュアのシーズンが始まって、来年は五輪の年でもあるからいろいろ賑やかになるだろうし、とりあえずはそこまでの我慢かな。

2017.05.23 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 日々のできごと



久々のヨガと、パーソナルカラー講座

怪我をして以来ずっとお休みしていたジムでの運動。先週ぐらいから、ピラティスとか骨盤エクササイズとか、あまり足を使わなそうなプログラムに出始めて、今日は久々にヨガにも挑戦。ただし、いつも行っていたパワーヨガ系は自信がないので、ゆるゆるできそうなプログラムに参加してみた。


参加している年齢層もチョイ高めで、ひとつひとつのポーズをゆっくりちょっとずつやるクラスだったので、リハビリにはちょうど良かった。これはできるかな、と恐る恐るのチャレンジ。だいたいは大丈夫だったけど、意外にダメだったのが、バランス系のポーズ。

痛い方の足を軸にした片足ポーズになると、とたんにバランスが保てない。前にも書いたけど、足の指というのはバランスを調整する役割があるのね。よほど強い力がかからなければあまり痛くはないんだけど、まだ無意識に体重をかけないようにかばっちゃうのか、まわりの筋肉が追い着いてないのか。

ところで。今日から市で募集していた「パーソナルカラー講座」なるものが始まった。

2月頃に市の広報に載っていたのをみて応募したもの。全4回で会費は2000円+教材費1500円で3500円。参加者は40~60代とおぼしき女性100%で約20名。講師も60代ぐらいのおばさま。つまり、オバサマの園(笑)。

今日は初回なのでガイダンス的な内容が中心。「好きな色」と「似合う色」が違うというのはよくいわれるけど、この「好きな色」というのは自分の今の心を表しているそうな。12色ぐらいから直感で好きな色を選ぶというテストで、私が選んだ色は「心の疲れ」を表しているらしい。確かに、最近実家のことやら、娘のことかでバタバタしていたので、なんか疲れた気分だった気がする。「あくまで統計的なものです」って話だったけど。

後半は、瞳や肌、髪の毛の色、印象から自分に似合う色のパターンを探るセルフチェック。自分じゃよく分からないから、近くの席の人たちに見てもらいながら、和やかムード。ちょっと意外だったのは、私の印象を、まわりにいた5人全員が「落ち着いた大人タイプ」と判定したこと。他には「個性的で印象深い」「明るくてかわいらしい」「上品で涼やか」だったんだけど。

ちなみにこの日の服装は、ヨガのあとにそのまま行ったのでデニムにシャツという超カジュアルだったんだけどな。判定した皆様のうちわけは、年下ぽい人2名、同じぐらい1名、あきらかに年上2人という感じ。なんか、自分ではへーという感じ。

来週からは、先生にも判定してもらいながら、自分に似合う色をみつけていくらしい。楽しみ!

2017.05.22 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 日々のできごと



読書録:『痛くない死に方』


最近よく読んでいる、いわゆる「平穏死」に関する本。同じ著者の本をもう何冊も読んでいるので、基本的にはもう知っていることばかりなのだけれど。

冒頭で出てくるのは、あの大橋巨泉の例。2005年に見つかった胃がんは克服して復活、2013年にも中咽頭がんのステージ4であることが見つかったが辛い治療を乗り越えた。ところが2016年4月に在宅医療を始めた途端に体力が低下し、結局再び入院してそのまま7月には死去。死因はいろいろあれど、直接的には在宅医療で受けたモルヒネの過剰投与が失敗だったのではという。

この描写からの情報しかないのでどこまで鵜呑みにしていいのか分からないけれど、このケースでは、在宅医に医療用麻薬や在宅看取りに十分な技量が不足していたことが失敗だったのではというトーンになっている。

まさにうちの母を在宅医に依頼し、医療用麻薬の投与をお願いしている身としては、ちょっと心配になる話。在宅医を選ぶに当たっては、そういうことを調べている余裕もなく、一度断られていることもあり、ケアマネの紹介してくれた医師に「診てもらえるなら誰でも」的にお願いしちゃったという経緯があるので。

この本では、この話を冒頭に持ってくることで、巨泉さんほどあらゆる情報を勉強しつくして周到に準備したであろう人でも、「自宅で平穏死したい」という要望は叶えられなかった、それほど今の日本で平穏死することはむずかしいと言いたいようだ。

その後は、平穏死と安楽死の違い、平穏死を阻む要因、平穏死がいかに本人にとって一番苦痛の少ない死に方であるかというような話が続く。(このあたりは他の本でも読んだような内容)

ひとつ考えさせられたのは、平穏死を望んで在宅医療を望んでいたものの、自宅でお餅を喉につまらせて救急車を呼んでしまったという100歳の患者のエピソード。病院に搬送され、救命措置を受けた後、延命医療を施され植物人間のようになってしまったことで、家族が後悔する……というのだけれど、いくら100歳とはいえ、お餅を食べられるほどだったおじいさんが目の前で窒息死していくのをそのまま見ていることなんて、できないよねぇ。

と考えると、平穏死を望むというのは、きれいごとだけではない覚悟が家族にも要求されるんだなと身につまされる。

平穏死を望むかどうか、本来は本人の意思が一番尊重されるべきというのは正論だけど、今うちの両親にそれを聞くことは私にはできない。もっと病状が進んでいよいよ覚悟したようなことを言い出したら、それとなく聞くことができるのかなぁ。

その上で、いずれは在宅の先生ともその辺について話し合いをしておく必要はあるんだろうなと。幸い、メールで連絡するとすぐに返事をくれるのでコミュニケーションは取りやすそうな感じ。どんな経過をたどるか分からないけど、みんなが納得できる道が進めますようにと今は祈るばかり。

2017.05.21 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 読書録



スーパー浮世絵展と江戸城址見物

友人たちの間で評判が良かった「スーパー浮世絵 江戸の秘密展」なるものに行ってきた。随分前から行きたいと思いつつ、足怪我してたり旅行があったり、入れ違いで夫が九州へ行っていたりして、気がついたら最終日2日前の滑り込み。


浮世絵自体を展示するというよりは、それをデジタルで投影してちょっとアニメみたいに動かしたりする仕掛けもあったりして、浮世絵の世界を現代風に紹介するという感じ。各スクリーン前では片岡愛之助のナレーションで当時の世相の説明があったりして、なかなか新鮮だった。
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人が写ってなくて分かりにくいけど、等身大よりもっと大きいスクリーン。

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花魁さんがまばたきして、誘ってる。

去年の夏にフランスでモネの晩年住んだ家にいったときに、ここは浮世絵博物館か!というほど大量の浮世絵が飾られているのを見たり、オランダではゴッホが模写したものを見たりして、一度ちゃんと見てみたいなと、、と興味をそそられていたりもした。
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今回のスーパー浮世絵は、西洋の画家たちが注目した芸術性についてはまったく触れられていなかったけどね。

浮世絵展を出た後、まだ時間が早かったので、竹橋まで出て江戸城の本丸跡に行ってみた。

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御殿の跡はもう何も残ってなくて、芝生の公園になっちゃってるんだけどね。それこそジオラマとかプロジェクションマッピングとかで当時の風景が分かるようになってたら面白いのに。

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忠臣蔵の松の廊下の跡とか。

櫓とか番所とか門とか石垣、当時の名残のものもなくはないんだけど。天守閣とかはそもそも徳川の時代からなかったみたいだし。あまりお城っぽいものは残ってない。

GoogleMAPでみると、今日歩いたのはこんなコース。
map.jpg 

訪れていたのはほぼ9割以上外国人なので、なおさら当時の姿をイメージできるものがあるともっと楽しめるのにね。

でも、たまたま思いついて行ってみただけだった割には、意外に面白かった。

ちなみに、入場は無料だけど、入口でこんな札を渡されて、出るときに返すシステム。確実に全員が退場したかどうか確かめるためなのかなぁ?
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2017.05.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | おでかけ



緑内障と薬のストック

数年前に発見された緑内障の、3カ月に1回の検査で眼科へ行ってきた。


昨日の実家ミッションの疲れで今朝から頭痛がしていたので、検査を延期してもらおうと電話したものの、かなり先じゃないと空きがないと言われて渋々行ったにもかかわらず、視野検査、なんかいつになくよく見えた気がした。

診察を受けてみると、実際今までで一番成績が良かったらしい(笑)。「でも、だから良くなったというわけではなくて」と釘を刺されたけど。眼底写真やらその他の検査では、あまりよろしくないらしく、特に今まではほとんど正常範囲だった左目の方が進行しつつあるらしい。幸い、それほど問題になるほどではないので、薬は今のままでいいとのことだけど。

気になったのは、「白内障が少し出ているけど、まだ10年は大丈夫でしょう」というセリフ。白内障といえば、緑内障よりももっと患者が多くて、老人のほとんどはなるぐらいのものらしいけど、いや、でも10年後には今度はそっちの心配ですか。。。と、老化の道まっしぐらな現実にどよんとしてしまう。だって、父や母も手術してるけど、たぶん80過ぎてからだったと思うのになぁ。10年後ってまだ私60代ですよん。

緑内障といえば、母も患っていて、眼科通いをしている。眼科は実家の近く(と言ってもタクシーで行く)とはいえ、体調の悪いときなどは、それすらも結構な負担。緑内障は薬さえ付けていれば、急に進行するものではないので、私のようにまだ先が長い「若者」と違って、母の場合、もう放って置いても寿命が尽きる方が先だと思う。さすがにそこまではハッキリ言わないけどね。

本人は「目くらになったら大変」とマジメに通うつもりが満々。インフルエンザ上がりで熱のあるときまで行こうとしたときは、さすがに予約を変更してもらうように説得した。先週も「だるいけど、視野検査の予約が入っているから」と行こうとするので、無理せずに検査を延期するように言っておいた。視野検査自体も結構疲れるし、待ち時間も結構あるみたいだし。

昨日冷蔵庫を整理したときも、眼科で処方された目薬が、何十個も!出てきた。「だって、行くたびに3本も4本もくれるんだもの」としらっとしている母。「こんなにあっても、一生かかっても使い切れないでしょ!」といったら笑ってたけど、シャレじゃないですから(^^;)。

父のかかりつけ医もそうだけど、断らないかぎり、余ってようがおかまいなしに、どんどんと薬を出す。一割負担だから自分が払う分はいくらでもないと思って、気にもしない老人たち。こんなことやってるから、どんどん健康保険が破綻しそうになっちゃうんじゃないか!と、「若者」としては腹が立つ。

医者の方も、出しておけばそれだけ収入が増えるわけだし。きっと、こういうケース、日本中に山のようにいるんだろうなぁ。なんとかならないのかしら!!!!

2017.05.19 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 介護



実家の冷蔵庫を片付ける

今日は夫に車を出してもらい、恒例の買いだし&ゴキゲン伺いの実家参り。


買っていったパンと作っていたポテトサラダで簡単にお昼を食べた後、夫はその足で彼の実家へ。90歳の義父、82歳の義母は元気で二人暮らしをしているけれど、お正月以来行っていないので、顔ぐらい出しておこうと言うことで。

実家に行く前に寄ったスーパーでは、互いに自分の実家に持参する食料をお買い物。別々のカゴで別行動していたので、互いに何を買ったのか走らないけれど。

うちの実家の父母は今日は比較的元気で、父も落ち着いている感じだった。ランチ後、母は昼寝をしに寝室へ。父も自分の部屋で何かしていたので、私は前から気になっていた冷蔵庫の大掃除に着手。

一度すべてのものを出して、不要品を捨てる、捨てる、捨てる。

「実家あるある」で次々に出てくる、賞味期限のものたち。カレー粉とか天ぷら粉とか、多少期限がすぎても使えなくはないだろうと思うけれど、一応除けておいて、起きてきた母に捨てる承諾を得る。

渋る母に、自分は食べられない→憎き夫のためにそんなものを作る気はサラサラない→捨てるしかないという三段論法を繰り広げると納得。

一度捨て出すと勢いがついて(笑)、「これも捨てていいわ」「これもいらない」となって、かなりスッキリ。ついでに全部のケースを出してベトベトになっていた部分も拭いて、明るくきれいになった冷蔵庫を見て、母も満足そう。

実家にいる間中働き通しだったのでグッタリ疲れてしまったけれど、後半はいっしょになって捨てるものを選別したりしたので、母自身もかなり疲れちゃったみたい。明日寝込まないといいけれど。

医療用麻薬を倍にした効果はある程度出ている様子。今日の夕飯は、カツオのたたき、サーモンのテリーヌ、切り干し大根、焼きナス。噛まなくていいように細かく刻んであげたら、なんとか食べられていたみたいだ。

帰りは電車で帰宅。ガンバッタ自分にご褒美でロマンスカーに乗った。ほんと、もう少し近ければいいんだけどねぇ。片道2時間半はしんどいわ~。







2017.05.18 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 介護



母の薬増量と血液検査

先月末からお願いしている母の在宅診療の先生。昨日が第3回目の診察だった。


13日に日大病院で主治医から聞いた今後の見通しと、抗がん剤処方のための血液検査をお願いした旨を、この在宅のH先生にメールで伝えたのが日曜日の夜。火曜日が診察の日なので、前日の月曜日中に見て返事をもらえればいいなと思っていたら、なんと月曜日の朝起きたらもう返事が来てた。タイムスタンプは午前2時。たまたま夜中に呼び出される用事があったのかもしれないけれど。

血液検査の件は「一般的な項目なら大丈夫」という返事をもらったので、念のため、以前日大で検査したときの検査データを写メしたものを送っておいた。

そして火曜日実家にやってきたとき、血液検査をすると共に、母がしきりに痛みを訴えるので、今飲んでいる医療用麻薬の量を2倍に増やすことになった。朝晩飲んでいるオキシコチン錠を1錠→2錠に、痛いときに飲むレスキュー用のオキノームも1包→2包に。

「この痛みを何とかして欲しい」と訴えながらも、薬が増えることに不安を感じている母に、今飲んでいる量はまだまだ少ない量なので、増やしても大丈夫、我慢しなくていいという話は、日大の先生も言っていたよと、伝えておいた。

在宅の先生との契約は、本来第一第三火曜の月2回なので、通常だと次回は6月の第一火曜、つまり6月6日。ただ、5月は第5週にも火曜日があるので、それだと3週間もあいてしまうことになる。薬を増やした状態でそれは不安なので、特別に来週の火曜日にもまた来てくれることになった。もちろん、その分追加で支払うことになるのだろうけど、きめ細かく診てもらえるのはありがたいこと。

その話は昨日母からも電話で聞いていたのだけれど、今朝先生からもメールがあって報告を受けた。同時に昨日の血液検査の結果もメールで添付されてきた。早っ。「特に問題はないと思います」というコメントと共に。

プロフィールをみると京都大学医学部出身でアメリカ留学の経験もあるというエリート先生。どういう経緯で若くして(まだ30代?)こういう医療に携わることになったのだろう。母は、「なんか、やたらにやっさしい話し方する先生でねぇ」となんだか不満げ。ああいう性格なので、軽口たたけるような感じじゃないのがやりにくいのと、若いから不安というのもあるみたい。「優しいならいいじゃない、何が不満なのさ!」と一蹴しておいたけど。今度会ったら、エリートなんだよ!!!と吹き込んでおこう。

私としては、とりあえずメールでサクサク連絡が取れるのが大変ありがたい。検査結果も郵送とか言わずにメールに添付なんてすばらしすぎる。

今朝電話してみると、薬を2倍に増やしたら、鎮痛効果はずいぶんあったみたいだ。「でも、もう、こうやって痛み止めの薬飲むしかないんでしょ? じゃあ、一生これ飲み続けなくちゃいけないの?」と聞かれたので、「対応できるお薬があるのはありがたいことじゃない。世の中には、効く薬がなくて苦しんでる人もいっぱいいるんだから」と答えておいた。母のイメージしている「一生」ってどのぐらいなんだろう?と思うけれど、そういう発言が出てくること自体、痛みがいくらか和らいでまだまだ大丈夫って気分になった証拠なのかなとも思う。それもつかの間で、いずれもっと増やしていくことにはなるんだろうけどね。




2017.05.17 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 介護



母の日2017

書いておかないと忘れるので、今年の記録。


まず私が娘たちからもらったもの。
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お花のお茶とティーポットのセット。お湯を入れると……。
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こんな風になります!
お茶を楽しんだ後は、しばらく水中花として鑑賞できるというもの。
同じカーネーションでも珍しいよね! ありがとう~♪

で、私から実家の母へは、実用第一で!お粥炊飯器。


最近は普通のご飯ではなく、お粥しか食べられないという母。父も元々お粥好きということもあって、2人ともお粥しか食べないのだという。今までは炊飯器でご飯を炊いて、それを土鍋に移してお粥にしているようなので、だったら最初からお粥を作れるものがあれば便利だろうと。

調べてみると、同じように介護食として使っているという人はたくさんいて、結構ニーズのある市場のようだ。いろいろなメーカーから同じようなものが出ていたけど、一番操作が簡単そうなコレをチョイス。あれもできる、これもできるという多機能なものはボタンが多くて分かりづらいからね。これは、オーブントースターのようにつまみを回して時間をセットするだけ。量によって目安はあるけど、自分好みの炊飯時間を見つけてセットすればいい。炊きあがってまだ固ければ時間を足すという感じで。

さっそく一度使ってみた感想を聞くと、母でもなんとか使えた模様。「お米から炊くとおいしいわね」と言ってたから、まあ喜んでくれてるのかな。電話がかかってきて、さんざん他の話をしたあげく、「ねえ、なんか届かなかった?」と聞くまで思いだしてくれなかったのにはガッカリしたけれど。そして、最近あまりにもこういうものをしょっちゅう買ってあげているので、もしかしたらこれが母の日のプレゼントだとは気がついてないのでは、、というオチ。まあ、いいけどね。

義母には、ディオニスのプリーツバッグ。(Amazonにも楽天にもなかったので、リンク先で見てね)

近所のお店で見かけてちょっとステキ?と思ってネットで探したら、上記のオムニ7のサイトにあったので注文して発送しておいた。もうオシャレしてお出かけなんてできない実家の母と違って、義母はまだ若いし元気だから……と思うと、なんか今年はこういうものを選びたかった。

でも、かかってきたお礼の電話では「なんだか、またお上品なもので……」という反応だったので、内心「こんなものもらったってねぇ」と思われてしまったかも。まあ、確かに田舎のおばあさんがもらっても困っちゃうのかもしれないけど、「オシャレを楽しんで欲しい」という気持ちえだけでも伝わっているといいんだけどなぁ。(無理か。。。)
と悲喜こもごも?な今年の母の日のレポートでした!

2017.05.16 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 日々のできごと



読書録:『「痴呆老人」は何を見ているか』


終末期医療に携わる医師が、いわゆる認知症になった老人たちの心理状態を解説した本。

脳の物質がどうのこうのというような生物的説明ではなく、人間としてどんな状態にあるのか、ということにスポットを当てられている。よくある「認知症の人はこうだから、こういう風に対応しましょう」的なものとも違って、冷静に分析しているという感じ。

そこで指摘されているのは、まわりとのつながりだ。

印象的だったのは、検査で同じような認知力の低下があっても、まわりの人との関係性によって、いわゆる困った行動が起きる割合には差があるということ。

私も父を見ていて、もし子供世帯の家族といっしょに住んでいるご隠居老人で、気をかけて面倒を見てくれる人が近くにいれば、ちょっとボケちゃったおじいさんという程度で、それほど困ることはないのになと思う。

そして、コミュニケーションというのは情報をやりとりするだけではなく、情動を交換するものでもあるという話。たとえば老人ホームでまったくかみ合わない会話をしている老人たちも、それなりに気持ちの共有があれば、立派なコミュニケーションが成立している、みたいな。呆けた人たちにとっては、話の内容を理解すること自体はあまり意味がなくて、なんとなく気持ちが伝わることが大事なのだというのは、勉強になった。

この本には、多重人格の話も出てくる。多重人格というのは誰にでも生まれたときには潜在的にあるもので、普通は成長と共に統合されていくのが、小さい頃に心的外傷があると、ある種の感覚や記憶を切り離そうとして人格の単一化が損なわれるのではないかと。

人は自分が「見たい」と思うものを見て、「聞きたい」と思うものを聞くというのも分かるような気がする。他の人には見えなくても、その人にとって見えていれば、それがその人にとっての真実。そういうことって、呆けてなくてもあるんじゃないのかな。「真実はひとつだけ」はコナンの世界だけってやつだ。

というように、なかなかに深い話で、そもそも「私」とは何かとか、考えるとどんどん分からなくなっていきそうな。分かったような分からないような部分もあったけれど、いわゆる呆けの状態をこんなにも真摯に見つめている点に、著者の終末期医療従事者としての経験と真剣さを感じる。

実際に呆けた親の世話に手を焼くようになったら、そんな悠長なことは言ってられないんだろうけどね。まだ心の余裕があるうちに読んでみておくのがよいのかも。

2017.05.15 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



母の余命を聞く

片道1時間半の通院が負担になってきた母の代理で、土曜日に板橋の大学病院に行ってきた。


母自身は、ツライから行きたくないのが半分、直接診てもらいたいのが半分だったのだけれど、前回の診察時に、本人が来なくてもいいと言われていたことと、そろそろ余命その他今後のことについて詳しく聞いてこようと思っていたので、「雨も降って寒いし」と説き伏せて自宅待機してもらった。

土曜日だったこともあって、この日は姉も同行。いつも一方通行でなかなかコミュニケーションが取れていなかったので、そういう意味でも母がいない方が都合が良かったというのもある。

この日は主治医である口腔外科と、放射線科、2つの科を受診。先生ふたりにそれぞれ聞いてみたけれど、答えは同じで、余命は「年単位ということはないでしょう」とのこと。「このまま口からものが食べられる状態が続けば、数ヶ月は余裕でクリアすると思うが、食べられなくなると1カ月か2カ月になっちゃうだろう」と。

口から食べられなくなった場合、人工栄養は賛成しないというのが放射線科医師の意見。「点滴で命を繋ぐのは、本人にとって苦痛を増すだけ」という、まさに私が最近いろいろな本を読んで学んでいた話。私もそれを望むけれど、姉がなんて言うか心配だったので、この早い段階で先生の口から伝えてもらえたのは良かった。予想通り姉は初耳ぽい顔で聞いていたけど、基本的には納得したようだ。

今後は、患部が大きくなり痛みも強くなってくると同時に、転移が予想される。症状としては全身の衰弱。基本的には何もできないが、骨への転移のみは例外で、痛みがひどく、特に背骨がやられると感覚が麻痺して排泄ができなくなる(垂れ流し)になったりして、それは本人にとってもツライことなので、放射線治療で対応することを考えたいという。その場合、余命を考えれば数ヶ月効き目が続けばいいので、1回あてれば十分。なので、今後は患部以外にすごく痛むところがないか、気をつけてみてあげてねと。

抗がん剤をいつまで続けるかについては、2人の医師共に同じ意見で、「本人次第」。つまり、効き目自体はさほど大きくないし、そのせいで食事がまずく感じることもあるかもしれないので、辞めてもいい。だが、抗がん剤を飲み続けることが本人にとっての心の支えになっているので、それをやめると希望を失ってしまうので、おすすめしない。それはまったく私も同感。

ほー!と思ったのは、、今後肝臓などへの影響が出てきて飲み続けられなくなったとき、在宅医に頼んでプラセボ薬を出してもらうという手がある、という話。

プラセボとは偽薬のことで、実は乳糖など薬じゃない成分を入れたカプセルを薬だと思い込んで飲むというもの。いろいろな薬で偽薬を使っても半分ぐらいの人が治ってしまうデータがあるという、いわゆるプラセボ効果というのは知っていたけど、まさにそれね。それはいい考えかも!(こういう話は、まさに本人がいたら聞けない話)

そして、抗がん剤を出してもらうために必須の3カ月おきの血液検査についても、在宅医に検査をしてもらって、そのデータを持ってくれば本人が来なくても処方できるという。なるほど!週明けにでもさっそく在宅医に連絡して、相談してみよう。

そんなわけで、当面は在宅医に緩和ケアをしてもらいつつ、私が代理で抗がん剤をもらってくるという方向で行こうと思う。

余命については、まあそんなものかな、いやでも案外何年もこのままだったりして……という思いが交錯していたけれど、医師の意見をハッキリ聞けたことで、今後やるべきことが少しクリアになった気がする。もう旅行の予定も入ってないし、ここからは一日一日できることを粛々と進めて、納得のいくお見送りをしようと腹も据わった感じ。

夫婦ふたりだけで生活できるのも限界が来てるし、時間的なものを念頭に置いて、母亡き後の父のことも含めて、いろいろ準備を進めなければ。。。。








2017.05.14 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 介護



記憶喪失

次女がこの春転職することになった。新しい会社には来週入社の予定。それに先だって、身元保証人の印鑑がいるというので、今こちらに帰ってきている。


取り出した書類を見ると、身元引受人は2人必要で、共に印鑑証明の添付が必要だという。夫の分はマンション買うときに印鑑登録してるけど、私のは?

えー、登録手続きわざわざするの~、面倒臭いなぁとブツブツ言いながら市役所へ。

申し込みをしてしばらくして呼ばれると、なんと、すでに私の名前でも印鑑登録をしているという。えええ????全然記憶ないんだけど。

おそらく、3年前に新卒で前の会社に入社したときに必要でやったんだと思う(というか、それ以外は考えられないから)。

そういえば、そのとき印鑑証明がどうとか言っていた記憶はある。夫の分だけだと思い込んでたけど、私の分もだったのか。確か、そのとき手続きは次女本人に行かせたので、私は記憶がおぼろげ。システムそのものをよく分かってないであろう次女も、まったくおぼえてない。

けど、市役所に記録があるという以上、そういうことなわけで。

そういうケースはよくあるのか、窓口の人も慣れたもの。前に登録してあった分を廃止し新しく登録という処理をその場でさくっと進めてくれたので、特に問題はなかったのだけれど。

いやしかし。こんなにきれいさっぱり忘れてしまうとは。父のこと言えないじゃーん。

最近、そういうこと多くなってきてる気がする。自分にとって大事じゃないことは自然に忘れてしまうというのは誰でもあることで、ある意味効率的なシステムなのだろうけど、やっぱり記憶容量が減っているんだろうか。

5分前のことを覚えていられないのは極端な話だとしても、人間の記憶力ってこうやって徐々に徐々にグラデーションのように薄らいでいくのかなぁ。

2017.05.12 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 日々のできごと



ミュシャ展に行ってきた

国立新美術館でやっているミュシャ展に行ってきた。


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アールヌーボーの画家として有名なミュシャはチェコ出身。今回の展示は、パリでポスター画家として活躍したミュシャが晩年祖国に戻った後、16年かけて仕上げた「スラヴ叙事詩」という連作20点を集められている。

「スラヴ叙事詩」は歴史上何度もの侵略を受けたスラヴ民族の歴史を綴ったもので、1枚が6m×8mという巨大な作品がズラリと並ぶ様は壮観。

創作当初は専用の美術館をつくって展示することを条件に国に寄贈されたが、それが叶うことはなく、その後ナチスの侵略や社会主義政権下に入ったことなど、歴史のうねりの中でほとんど公開もされずにいたという悲劇の作品でもある。

それがついにチェコで一挙公開展示されたのが2012年のこと。以前チェコに旅行したこともあったので、その公開のニュースを見て、それがやってるうちにまた行きたいなぁ、でも無理かなぁなんて思っていたら、なんとまさか日本にやってくるとは! チェコ国外では世界初というのだから、なんという幸運!

実際に見てみると、とにかくその大きさに圧倒された。そして、オーディオガイドがかなり詳しく、スラヴ叙事詩に関してはすべての作品に説明がついていたのもよかった。作品自体が美術的にきれいとかステキとか言うよりも、その作品の時代的背景とか、表現したかったものとかを分かってみる方がインパクトも大きかったように思う。特に私や次女のように、西洋史専攻出身の歴史好きには興味深かった。

展示の後半には、「いわゆるミュシャ」という感じのアールヌーボーのリトグラフも多数並んでいた。落ち着いたピンクを基調に、女性や花をモチーフにした絵柄はいかにも女性好みするデザインでかわいかった。

平日の午後だったにも関わらず、会場内は結構な混雑。(このエリアのみ写真撮影可)
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比較的若い人(特に女性)が目立ったような気がした。ミュシャって、私はチェコに行くまでよく知らなかったけど、意外に人気があるのね。特にグッズ売場は長蛇の列。ついでに、同じ国立新美術館であyっていた草間彌生もすごい混雑だったけど。

ミュシャ自身も、渾身の大作が80年近くを経て、今遠い日本でこんな風に扱われてるなんて、草葉の陰でビックリしてるかもね。





2017.05.11 | | コメント(0) | トラックバック(0) | おでかけ



父の近況

後々の参考のために、現状の記録をメモ。


私自身は先月26日に会ってから2週間近く会ってないので、母や次女から聞いた話のまとめ。

連休中で姉が実家に泊まっていた夜のこと。母が夜中に目が覚めると、姉が大きな声で何か話しているのが聞こえてきたという。のぞいてみると、父が「カミソリがない」と騒いでいたらしい。夜中に寝ぼけてヒゲを剃ろうとしたのか? 洗面所の水をずっと流しっぱなしにしていたので、その音で洗面所のすぐ前の部屋で寝ていた姉が気がついて、「明日探そう」となだめていたところだったというわけ。

母の話も支離滅裂で要領を得ないのだけれど、「玄関のドアを開けて」父が何かをしていたらしいので、「近所迷惑だから」「みっともないから」と、必死にやめさせたとのこと。

母の説明はとにかく「迷惑」「困ったもんだ」「恥ずかしい」と自分の気持ちを述べるばかりなので、さっぱり状況がつかめないのだが。「おっかないと思ったのか、次の日の朝さっさと帰っちゃったわよ」いう(by母)姉に今週会う予定があるので、そのときに説明を聞けばもう少し詳しいことが分かるかな。客観的に出来事だけ聞けば大したことじゃないけど、現場に居合わせた母や姉にしてみれば、勘弁してくれって感じだと思う。

翌日になって父本人も「俺、昨日はどうかしてたな」とつぶやいたらしいので、少しは自覚があるのかもしれない。もちろん詳しいことは本人も分からないだろうけど。

そして、今日。次女とLINEをしていて聞いた話。次女が実家に電話をして母と話していると、父が話したいといって電話を替わったという(珍しい)。そして「たまには正月以外にも顔を出しなさい」と言われてずっこけたという(笑)。

ここでも書いたように、次女はつい2週間ほど前に父の病院に付き添ったばかり。そのとき父は次女を私だと思い込んでいたようなので、次女としても「今日は私だって分かってるって事だよね」と笑ってたけど。

ついでに聞いた話によると、病院に付き添った際も、診察室に入るや否や、先生の座る椅子に座ってご満悦だったんだとか。次女や看護婦さんが慌てて、「ああそこじゃなくて」って移動させたらしい。(話だけ聞くとコントだ)

そして先生が現れると次女のことを「娘です」と紹介。状況は一目瞭然なのでスルーしてくれたらしいが。先生から「徘徊などはないですか?」と聞かれたというので、症状が進んでるなと先生も感じたのかもしれない。

昨日電話したときも、母曰く、30度近い暑さなのに父はジャンパーを着てホットカーペットを付けてるという。おそらく、もう暑いも寒いも分からないのかも。ホットカーペット付けるのも習慣だから何も考えずにやってるんだろう。

こんなことでは、これから暑くなったら熱中症にでもなるのではと心配になる。小まめに見て調節してあげるように母に言ったけれど、例によって母は「口が痛くてご飯が食べられなくてかわいそうな私」で精一杯、しかもにっくき父のことなんて知ったことかというトーンなので、今ひとつ反応薄い。服装にしても、季節に合わない格好をしてるところを「人に見られると恥ずかしい」という視点しかない。

末期癌患者に人の面倒をみろというのも酷な話だとは思う。母がアレコレ言ってもケンカになるだけなのも目に見えてるし。

ふたりだけで置いておくのも、いずれ限界が来るんだなーと思わされる今日この頃。かといって、私のウチに引き取れるわけではなし、私がそこに住むわけにもいかない。実家のマンションを引き継ぐことになっている姉は、いずれはいっしょに住むとは言っているけれど。私より短期な姉が果たして面倒を見切れるのか。

と、アレコレ考えると時限爆弾を抱えてる気分だわ~。

でも、みんなが通る道だもんね。なんとかうまく乗り切れますように。



2017.05.09 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 介護



読書録:『わたしの容れもの』


小説家である角田光代のエッセイ。1967年生まれである著者が2012年~2014年頃に書いた連載らしいので、40代後半から50歳を前にして、迫り来る老いや更年期に向かいつつ、自らのカラダに起きる変化をユーモアたっぷりに綴ったもの。

友人やセンパイたちから聞くいろいろな話に怯えつつ、自分に訪れる変化にビビったり納得したりする様はリアル。私も最近友人たちとの会話は、その手の話が増えたもんなぁ。。

先日の旅行の際も、元気でこんな遠出ができるのは何歳までだろう?とか、近いところは年取ったときにとっておいて、今のうちに体力が必要なところは行っておかなくちゃとか、そんな話ばっかりしてたっけ。

でも、全体として悲観的というわけではなく、もう開き治って受け止めちゃいましょうという軽いノリ。まあ、そうでも思わなきゃやっていけないけどね。

この本でプチ役に立った?のは、角田さん、検査マニアなところがあって、いろいろなものの体験談が出てくる。大した意味もなく「やってみたくなっちゃう」のは物書きのサガなのかもしれないけれど(実際、本のネタになってるわけだし)。

たとえば、よく更年期障害対策に大豆製品が有効と言われるけれど、大豆製品を食べても体内で「エクオール」という成分を作れるかどうかは体質によって異なるのだという。つまりエクオールを作れる体質の人は、食べた大豆のイソフラボンが有効に摂取されて更年期障害が軽いなるという。で、そのエクオールを作れる体質かどうかは、ネットでキットを取り寄せて検査できるらしい。確率は50%で、分かったところでどうなるというものではないのだけれど、気になって調べてみたら、角田さんは作れない体質だったそうだ。

試しに検索してみたら、簡単に出てきた。料金は4000円ちょっと。興味本位でも出せる金額ってことかな。 
 

もうひとつは、遅延型アレルギー検査。原因不明の頭痛に悩んでいた友人が、この検査で実は乳製品にアレルギーがあることが分かり、それをやめたら頭痛がきれいサッパリ治ったという。遅延型というだけあって、食べてすぐに症状が出るわけじゃないから、普通だと気がつかないらしい。頭痛持ちの私としてはちょっと気になるところだけど、調べてみると検査キットが3万円とか出てきたので、うーむという感じ。

そうそう、健康と関係ない話で印象に残ったのは、昔の友だちに久しぶりに会ったときの話。パッと見ずいぶん変わったように思っても、少し話すと「全然変わらない」「昔のまま」と思うのは、ある程度親しくなった人を見るときは、外見じゃなくてその人の魂を見てるからだって。なるほどね。

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2017.05.08 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



読書録:『大人のおしゃれ Do!&Don't』


1956年生まれの漫画家と1959年生まれのスタイリストが対談形式で語る「すっかり大人」な女性のおしゃれについてのアレコレ。

実際のオシャレについての細々したアドバイスは、まあありがちな話が多いけれど、描写がいいちいち「すっかり大人あるある」で苦笑。

夏のワンピースを死ぬまでに着られるのはせいぜい何回?とか、シワの顔にシワの服はNGとか、このとき!という勝負服を着る機会はなくても喪服の出番は増えるから、いざというとき入らないということがないように、ときどきサイズチェックはしておくべきとか。

カサカサしてくるお年頃、1に保湿、2に保湿、ずっと保湿だとか、「かたい、きつい、重い」と感じ始めたら「ファッション更年期」だとか。そういえば、先日の旅行中も、同じ年の友人Mが「重たいネックレスはぜったい無理!」と力説していたっけ。

そして、一番笑えたのは、「すっかり大人」はいつ何があるか分からないから、見られてもいい下着をつけておくべきという話。といっても男性に見せる下着じゃなくて、いつ救急隊員のお世話になるか分からないから! 救急車で運び込まれたときに、残念な下着では恥ずかしいというのだけれど、いやそんな場になったら下着とか恥ずかしがってる場合ではないような。

と、軽く笑い飛ばしながらさらっと読むには面白かったかな。

2017.05.07 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



二度目のミラノとヴェネツィア

昨日は昼間お昼寝せずにがんばったおかげで、10時すぎに爆睡。朝まで泥のように寝たから、時差ぼけも解消したはず!

さて、今回の旅行の行き先はミラノとヴェネツィア。ヨーロッパ旅歴の多い友人Aと少ないBとCの意見を調整するのに一苦労したあげくにやっと落ち着いた。決め手は直行便で行けるところ。去年はロンドン乗り継ぎのポルトガルがめっちゃ遠くて、みんなボロボロに疲れてしまったので。私自身はどちらの年も2010年に行ってるのだけれど、イタリアは食べ物もおいしいし、もう一度行ってもよいかなと。

直行便でミラノに到着した1日目は、前記のごとく体調不良のため即ダウン。2日目の朝、一番に向かったのは「最後の晩餐」。覚えてるかな? 7年前には、わざわざ国際電話をして予約(先払い)したにも関わらず、当日現地に着いてみるとミラノ市のストで見られなかったというイワク付き。諦めきれずにその場所まで行って、ストの張り紙だけ見てすごすごと戻ってきた。(そのときの日記はこちら

今回は準備が早かったのでWebから予約。ストもなく普通にちゃんと見られた。
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実際に行ってみると、そこまでして死ぬほど見たいか?というほどかどうかは謎だけど、壁画なので(つまり、他の場所に移動できない)、まさにこの場所でダヴィンチが描いたのかと思うと、ちょっと感慨深い。

足や胃腸の具合が悪ければ、これだけ見たらひとりでホテルに戻ろうかとも思っていたけど、幸い元気だったので、みんなといっしょにドゥモを見たり、お買い物をしたり。

3日目は列車でヴェネツィアへ移動。こちらもストも遅延もなく予定通りに到着して2泊。
前回も間違いなく同じ写真を撮ったはずの場所で、性懲りもなくまたパチリ。
IMG_3006.jpg 

前に撮ったので一番近いのはこれかな。
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違うのは、前回はデジカメ、今回はiPhone。iPhoneの方が画質いいじゃん(笑)。

前回修復中で残念なことになっていた「ため息橋」は、
IMG_2928.jpg 

今回は覆いもなくなってて、ちゃんと見られた。
IMG_2900.jpg 

その他、この前はすごい行列であきらめたサンマルコ寺院の見学は、今回は当日朝に優先入場できるチケット(ひとり2ユーロ)をスマホから購入して、ほぼ待ち時間なしに入場。前回は高くてやめたゴンドラ(80ユーロ)も、3人で割ればそれほどでもないかと乗ってみた。

5日目には、船で15分ほどのムラーノ島という離島へ移動して1泊。ヴェネツィア本島が世界中からの観光客がうじゃうじゃだったのに比べると、離島は人が少なくてのんびりできる感じ。さらに船でブラーノ島という別の島にも行ってみた。

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ムラーノ島はヴェネツィアングラス、ブラーノ島はレースの工芸で有名なところで、かわいいお土産やさんがいっぱい並んでる。女子旅なのできゃっきゃ言いながらアレコレお買い物したのも楽しかった。飛行機アップグレードできてれば使ったはずのお金が浮いたような気がして、ケチな私にしてはけっこうあれこれ散在しちゃったのは、良かったのか悪かったのか。

おいしいものも毎日たくさん食べた!
IMG_3097-COLLAGE.jpg 

そうそう、前回ヴェネツィアでホテルのオーナーにお勧めされて行ったレストラン。名前も場所も覚えてなかったんだけど、偶然「この辺のどっかで食べようか」と行き着いた広場に、まさにそのレストランがあったという奇跡。似たような広場、似たような店はたくさんあるから……と思ったけど、後から過去の旅行記でお店の名前を見たらやっぱり同じ店だった!

これが7年前。
IMG_2958.jpg 

今回は雨が降ってたので外のテラスに人がいないけど。
IMG_3081.jpg 

ヴェネツィアって、超迷宮都市で、目指して行ってもたどり着くのが大変なのに、偶然見つけるとは運命の巡り合わせ?

という感じで、一度目にはないお楽しみいろいろもあった二度目のイタリア旅なのでありました!




2017.05.06 | | コメント(0) | トラックバック(0) | おでかけ



行きは地獄、帰りは天国のイタリア旅行

成田で「行ってきます」をしたきり、珍しく現地から何もレポートしないままに終わっちゃったけど、昨日のお昼過ぎに無事帰ってきました。


行きの飛行機では、肩こり→頭痛→嘔吐のゴールデンコースをたどり、地獄の13時間。ほぼ死んだ状態でホテルについて、食事もせずお風呂にも入らずにダウン。翌日朝起きても引き続き頭痛で、こりゃー何のためにこんな遠くまで来たんだ! 年老いた親をぶっちぎって自分だけ遊ぼうと思ったバチがあたったか。骨折までした時点で諦めるべき運命だったのかもと一気に弱気モードに。

それでも、なんとか持ち直して、結果的にはすべて予定通りに旅を楽しむことができて、ほっと一安心。

足の方も、最初の方はやはり歩くのがのろくて、ひょこたんひょこたんびっこ引きながら同行の友人たちを追いかける状態だったけど、旅が後半に進むにつれ、大分痛みもなくなってきて、なんとかついて行ける速さで歩けるようになった。

とはいえ、随所随所で荷物を持ってくれたり、空いた席に優先的に座らせてくれたり、いろいろと気を遣ってくれた友人たちには感謝、感謝。

帰りの飛行機でも、私ひとりだけ両隣がいない席に移動させてもらったおかげで、3席使いたい放題で横になって眠ることもできて、エコノミーと思えない快適さ。機内でぐっすり眠れちゃったせいか、昨夜は1時間ぐらいしか眠れず、まれに見るひどい時差ぼけだけどね。

帰国前日に経営破綻のニュースが流れて最後までハラハラさせてくれたアリタリア航空だったけど、結果的には行きも帰りも予定通りに飛んでくれた。お天気にもほぼ恵まれて、今度はストにも遭わず、めでたし、めでたし。

実家の方も特に変わりもなかったようだし。

まずは無事帰還のお知らせでした。



2017.05.05 | | コメント(0) | トラックバック(0) | おでかけ



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