読書録:『「痴呆老人」は何を見ているか』


終末期医療に携わる医師が、いわゆる認知症になった老人たちの心理状態を解説した本。

脳の物質がどうのこうのというような生物的説明ではなく、人間としてどんな状態にあるのか、ということにスポットを当てられている。よくある「認知症の人はこうだから、こういう風に対応しましょう」的なものとも違って、冷静に分析しているという感じ。

そこで指摘されているのは、まわりとのつながりだ。

印象的だったのは、検査で同じような認知力の低下があっても、まわりの人との関係性によって、いわゆる困った行動が起きる割合には差があるということ。

私も父を見ていて、もし子供世帯の家族といっしょに住んでいるご隠居老人で、気をかけて面倒を見てくれる人が近くにいれば、ちょっとボケちゃったおじいさんという程度で、それほど困ることはないのになと思う。

そして、コミュニケーションというのは情報をやりとりするだけではなく、情動を交換するものでもあるという話。たとえば老人ホームでまったくかみ合わない会話をしている老人たちも、それなりに気持ちの共有があれば、立派なコミュニケーションが成立している、みたいな。呆けた人たちにとっては、話の内容を理解すること自体はあまり意味がなくて、なんとなく気持ちが伝わることが大事なのだというのは、勉強になった。

この本には、多重人格の話も出てくる。多重人格というのは誰にでも生まれたときには潜在的にあるもので、普通は成長と共に統合されていくのが、小さい頃に心的外傷があると、ある種の感覚や記憶を切り離そうとして人格の単一化が損なわれるのではないかと。

人は自分が「見たい」と思うものを見て、「聞きたい」と思うものを聞くというのも分かるような気がする。他の人には見えなくても、その人にとって見えていれば、それがその人にとっての真実。そういうことって、呆けてなくてもあるんじゃないのかな。「真実はひとつだけ」はコナンの世界だけってやつだ。

というように、なかなかに深い話で、そもそも「私」とは何かとか、考えるとどんどん分からなくなっていきそうな。分かったような分からないような部分もあったけれど、いわゆる呆けの状態をこんなにも真摯に見つめている点に、著者の終末期医療従事者としての経験と真剣さを感じる。

実際に呆けた親の世話に手を焼くようになったら、そんな悠長なことは言ってられないんだろうけどね。まだ心の余裕があるうちに読んでみておくのがよいのかも。

2017.05.15 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



«  | ホーム |  »

カレンダー(月別)

04 ≪│2017/05│≫ 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: