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読書録:『世界の英語を歩く』


世界の英語を歩く (集英社新書)世界の英語を歩く (集英社新書)
(2003/11/14)
本名 信行

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今や世界の共通語となっている英語は、単に英米人などネイティブの話す言葉ではなく、あらゆる国の人が意思を疎通するための第二の言語であるという視点で書かれた本。

前半は、アジアを中心とした国々で、英語がどんな風に話されているのかを取り上げている。それぞれの国がどんな意図を持って英語を公用語にしているのか。それは、たとえば、同じ国の中でも他民族多言語を抱える国であれば、どの民俗にも偏らないフラットな共通語として英語が適当であった、とか。そして、どの国の英語にも、必ずその国の言葉や風習を反映した英語が使われているという話。時には、その土地の言語の特徴にひきずられて、本来の英語では間違いとされる表現が当たり前に使われていたりする、という例がたくさん挙げられている。

その次に、いわゆるネイティブな人たちの使う英語の特徴について触れた後、では、国際語としての英語はどうあるべきか、日本人は何をめざすべきなのか、という話になっている。

この本の中で、著者が繰り返し強調しているのは、今、私たちに必要なのは、ネイティブのように英語が話せることではなく、「国際語としての英語」を理解し、使えることであるということだ。

各国の英語にそれぞれ特徴があるのは、当たり前で、それでよし。「ネイティブはそういう言い方をしない」とか、「文法的に間違い」とかいうのもナンセンス。言葉は生き物だから、その土地でそれで定着しているなら、それも立派な英語の一つの形。

英語を使うからといって、言い回しや風習まで英語文化に染まる必要はない。たとえ、それで通じない部分があったとしても、そういうものだという前提で、お互いが「それぞれの英語」を理解しようという配慮をするべきだと説く。だから、日本人もジャパニーズイングリッシュを恥じることなく、堂々と「日本的な英語」を話せばいいのだと。

実際、ネイティブの側のほとんどの人はそんな寛容な精神は持ってないと思うけど、これから先、どんどんグローバル化が進んで、英語使用者に占める非ネイティブ比率が高まっていくことを思えば、説得力のある話ではある。

何年か前に、早稲田の英語の教授といっしょにお仕事をしたとき、その先生が「アジアの英語たち」という論文を書いていて、非ネイティブ人口がどんどん増えている中で、英語はいろいろなバリエーションがあるのが当たり前の時代になっているのだという話を聞いた。まさに、それと同じ話で、今やこういう考え方をする英語研究者は多いということだった。

私も、最近は非英語圏に旅行に行くことが多いので、うなづける部分はたくさんあった。中国とかタイとかバリ(インドネシア)とか、まったく知らない国に行くと、ほんのカタコトでも、単語レベルでも、英語が分かるか分からないかで大きな違いがあることを実感する。そして、お互いカタコト同士で話す場合、ネイティブのようにペラペラ話せることよりも、相手に伝えようとする意思、相手の言ってることを理解しようと努力する力っていうのが重要になってくる。

むしろ、私のように英語が非力なヒトにとっては、アメリカ人の巻き舌でペラペラ早口でまくし立てる英語より、比ネイティブがゆっくり話す簡潔な英語の方がはるかによく分かったりもする。確かに、それぞれの国で、発音にすごく癖があって、英語を話しているということすら最初は気がつかない、、なんてこともあるんだけど、それも、ある程度は慣れの問題もある。

オーストラリア人の陽気な「グッダイ!」って挨拶や、タイ人ののんびりした英語、思い出せば、それはそれで味があっていい思い出ともいえる。

ま、いずれにしろ、私自身はもっと聞けるように、しゃべれるように、まだまだ勉強が必要なのは間違いないんだけどね。地道にコツコツがんばりまーす。

2012.03.23 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



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