読書録:『新しい世界史』



私たちは普通、日本史と世界史というふたつの科目として歴史を学ぶ。そして、世界史の方も、世界各国のそれぞれの「●●史」を束ねたもの。

グローバル化が進む現代、この常識を覆して、新しいアプローチが必要なのではというのが著者の主張。

「今までの世界史」の何が問題で、今後はどういう視点が必要なのか、まだ正解は見つからないけれど、とりあえず問題提起という感じの本。

たとえば、王道である時系列の通史ではなく、ある時代を横に切り取った見方。具体的な例でいうと、「1600年に世界中でどんなことが起きていて、それが相互にどのように関連してるか」とかね。

細かいところはちょっとむずかしいので、ここでシンプルに要約できないのがもどかしいんだけど、なかなか面白いし、新しい可能性を感じさせてくれる話ではあったと思う。

特に、なぜ著者がそういうことを思うのかという前提として、歴史学者が世の中になすべき使命とは何なのかについて書いているところが興味深かった。

著者曰く。
そもそも「各国史」をまとめるというのは、国民がその国に対しての帰属意識をもち、国家としてのまとまりをつくっていくための作業であった。国家とか国民とかそういう意識そのものが、歴史を学ぶことで醸造されると。近代における歴史学者にはそういう国家社会のための役割みたいなのがあったのに、今の歴史学者たちは、自分の興味のあるところをピンポイントで掘り下げているだけで、社会のために何か影響を与えるようなことをしていないと。

趣味でやる分には自由だけれど、国家の助成金をもらって研究するような学者がそれでいいのか?と問うているのだ。

なかなか、気概のある話じゃない?

私も、高校生の頃に世界史に興味を持って、大学では西洋史を専攻したけど、大学での勉強って、ごくごく一部の切り取られたところしか扱わなくて、なんかつまらないなーと思った。

著者の野望としては、グローバル化が進む中で、各国史でもなく、地域史でもなく、地球全体をまるごと包括するようなアプローチの歴史を学ぶことこそ、「地球市民」としての意識を育てていくのではないかと。

私たちが、たとえば神奈川県民であり日本国民でもある、ということを自然に自覚できるように、「地球市民である」という自覚もフツーに持てるようになれば、世界は変わっていくのかもしれない。

いま、世界のあちこちで起きている問題でも、結局みんな自国の利益しか考えられないからこじれちゃってることはすごく多い。そういう限界に風穴を開けられるのかも?

とはいえ、言うは易く行うは難し。すぐにどうこうできる問題ではないというのは、著者自身もそれは認めている。

もしかしたら、SFみたいに、地球外生物が攻めくるような時代にならないと、「地球市民」としてまとまるなんて、現実には無理かもしれないけど。。。





2015.10.18 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



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