延命治療と本人の意思

読売新聞の医療記事オンラインサイトヨミドクターにあった記事。


【延命治療】“人として生きる”イメージは人それぞれ

緩和ケアの経験のある看護師が、100歳で亡くなった自身の義父の終末医療について、早くに「本人の意思」を確認した方がいいと進言したものの、息子である夫からは「最期の過ごし方を確認するなんて、そんな酷なことはしたくない」と拒否され、結局話を聞けないままに終わってしまったという話。

最終段階に入って「決断」が必要になったとき、すでに本人に意思を確認できる状態ではなかった。家族の間で意見が分かれるも、幸い?そのまますぐに亡くなってしまったのだけれど。本人はどうして欲しかったのだろう?と、問題を投げかけている。

でも、いつも思うんだけど、「本人の意思」と言っても、本人だって分からない部分も大きいと思う。「いつか」起こることとして頭で考えてるときと、「その場」になって感じることとは違うかもしれない。

そりゃ、もう治る見込みもなく、意思疎通もできない、自分で何もできない状態になってまで、ベッドの上で長生きなんてしたくない、というのは誰もが思うこと。

でも、そういう姿を想像して「延命治療は受けたくない」と思っていた人でも、いざその場になったら、「やっぱり死にたくない!」とか思うかもしれない。実際そういうケースもあると言うし。

ということは、「リビングウィル」とかで明文化したものが残っていても、今そのときその人がどう思ってるかは分からないってことになる。

こういうのは正解のない話で、ケースバイケースで当事者が考えるしかないとは思うのだけれど、最近思うのは、結局「残る人の気持ち」次第なのかなと。

もちろん、命は患者本人のものだし、その人が一番いいようにしてあげるのが当然なんだけど、それがハッキリ分からないのだったら、「見送る人が後悔しないように」っていうのも大きいんだろうと思う。残る人の「都合のいいように」という意味ではなくて、どうしてあげれば後悔しないのか。

こう言っちゃなんだけど、死ぬ人は死んだら終わり。でも残された人はその後も人生が続く。残された家族が後々嫌な想いをしなくていいような死に方をしたいなと、私は思う。

自分の意思を伝えるとしたら、痛い、苦しいのは嫌というぐらいかな。その場で自分がどう感じるか分からないから、「こうしてほしい」とは決められない。後は家族にお任せしてもいい。願わくば、家族の決めたことなら、それが私にとって一番いいことなんだと思えるような信頼関係を、普段から持っておくことが理想なのかなとも思う。

だから、たぶん私よりも先に逝くはずの両親についても、どう思ってるのかハッキリ聞くことよりも、「たぶんこうだろうな」って察しが付くように、普段から気持ち的に寄り添ってあげることの方が大事なようにも思う。

なんて、まだ想像でしかないうちに考えることと、その場を体験してみたのとでは、また考え方も変わるかもしれないけどね。今はそう思うということで。





2016.08.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 日々のできごと



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