立派なお骨

さすがに2日更新しなかったけど、無事、通夜と告別式が終わったので、一応記録。

(タイトルのオチは後半にあります。前半はダラダラ長いので、読み飛ばしてください)

亡くなったのが火曜日の早朝未明。母は病院から直接葬儀場へ運んで安置してもらい、いったん実家に行き仮眠。水曜日の午前中に葬儀社と打ち合わせをして、私と夫は帰宅した。弔問に訪れる人もいないので、姉と父もいつも通りに実家で過ごした。

そして木曜日。午前中自宅を出て、お昼すぎに実家に到着。すでに父は姉に喪服を着せられていた。私が前もって喪服とYシャツを出してかけておいたので、落ち着かなくて早く着ちゃったみたい。ただ、いつもしているベルトがみつからないとかで、代わりに出したベルトが緩すぎると気にしている。私がこの前買ったゴムのズボンにするというのをなだめて、夫にハサミの角で無理矢理もうひとつベルトの穴を開けてもらい、一件落着。

15時半に会場入りしてくれと言われていたので、15時すぎに出発。石川の父の実家から着てくれた親戚が、会場に早く着き過ぎちゃったからと実家へ来るというサプライズがあったけど、なんとかみんなウチの車に乗れてよかった。早めに着いたはいいけど、会場の準備はまだ全然できてなくて、ロビーでかなり待たされる。

会場の準備が出来て、棺に収まった母と再会。(納棺には立ち会わず)

オプションで顔のまわりにお花をたくさん入れてもらったおかげで、かなり華やか。顎の部分はガーゼがとれないので、その部分にもお花を埋めてもらって。でも、棺の中の母の顔は、なんだか別人。元気な頃のふくよかな顔と違うのはもちろん、たぶん多少ワタなどで膨らませてもらったのか、亡くなったときの骸骨のような顔とも違う。病院で対面したとき、翌日葬儀場で対面したときのどれとも違っていて。葬儀に来てくれた親戚も、「全然顔が違うから、違う部屋に入っちゃったかと思った」と言われたほど。

通夜が始まるまでの間は、お花を出してくれた人の名札などを確認するぐらいで(たくさん出してもらったので、祭壇が華やかになってありがたかった)特にすることもなく。16時すぎにお坊さんが見えたので、父、姉、私、夫、娘ふたりで別室に入り、つけていただいた法名(浄土真宗では戒名と言わず法名というらしい)などについてお話を聞く。亡くなったことを悲しいと思うのではなく、故人が残してくれたご恩を受け止めましょうみたいな。ちょっとしんみりする。

お通夜は17時から。30分ほどお経を読んでいただいた後、みんなの前でもお坊さまのお話があった。これも20分ぐらい?お話好きのお坊さんなのか、この宗派がそうなのか? でも、一括パックなのに(苦笑)よくしていただいて、ありがたい。

通夜終了後は、その場で通夜振る舞いの会食。来てくれた親戚(いとこ)たちにビールをつぎながら、お礼を言って、お話をして。小さい頃からほとんど付き合いがなく、話したこともない人もいるぐらいだけど、ここ数年、おじさん、おばさんの葬儀が続いたので、さすがに顔と名前ぐらいはなんとか分かってよかった(笑)。みんな、年寄りの介護と見送りの先輩なので、いろいろ体験談を聞かせてもらったり。その日は、父と姉を実家に送り届けた後、私と夫は帰宅。

翌金曜日。朝早く自宅を出て実家へ。昨夜は戻り次第スグ寝てしまったという父だけど、やはり夜中に起き出してどこかに行こうとしたとか、姉は「おかげでちっとも寝れなかったし!」と怒ってる。ちなみに父は、特に異常な行動はなく。亡くなった翌日、「お母さんは?」と聞いたらしいのと、母のことを「お袋は」と言うのをのぞけば、普通に事態を把握してるっぽい。葬儀の間も、合掌と言われるたびに、なぜかキリスト教みたいに指を組んでお祈り?しちゃうぐらいで、まあ特に問題はなく。

時間になり、父と姉をつれて斎場へ。ほとんどの親戚はお通夜だけという人が多く、告別式はひっそりと。それでも、母が生前仲良くしてもらっていた遠方の友人が顔を見るなり泣き崩れちゃったり、また別の友人のおばあさまはお香典の中にお手紙を入れてきてくれたり。(お手紙は棺に入れさせてもらった)

出棺の前には、祭壇にあった花をみんなで棺に入れる。前日にあわてて印刷した、みんなと写った写真もいっしょに。お花があまりにたくさんで、花の精になれそうなぐらい、もう全身花まみれ(笑)。入院中、お花を買ってもっていくと、いつも「きれいね」と眺めてたから。「でも、こんなに入れたら息できないわよ!」って怒ってるかもね、なんて。

出棺後、マイクロバスで火葬場に行き、荼毘にふす。訃報を聞いて以来、不思議なぐらい冷静で涙がにじむこともなかったけど、さすがに出棺前に棺を開けて、冷たくなった母の顔を触ったら、こらえきれずに号泣。火葬場でも、嗚咽がこみあげて止まらなかった。「アンタもロボットじゃなかったのね」って母がびっくりしてるかな。

でも、正直いうと、お別れが悲しい、寂しいというよりも、やっと終わった、終わっちゃったっていう感じ。

母の病気が分かってから、誰よりも、おそらく本人よりも母の病状を知っていて、いろいろな選択を迫られたり、考えたり。それ以前の脳天気な日々からすると私にしては壮絶な1年ちょっとの日々を思うと。解放される日を、それこそ指折り数えて待ってたのに、本当にその日が来ると、うれしいのか悲しいのか寂しいのか、なんだかよく分からない。

やらなくちゃいけないことが山盛りで、父の問題もあるし、本当に寂しくなるには、まだ当分時間がかかるのかもね。

そうそう、タイトルに書いたくせに忘れそうになったけど、母の骨は89歳の老人とは思えないほど大変に立派な骨だった。焼き上がって炉の蓋を開ける時点で、確認のために身内だけ呼ばれたのだけれど、炉から出てきたばかりの骨は、まるで理科室にある骸骨の模型をそのまま寝かせたぐらいに、どの骨もハッキリ残ってた。特に大腿骨なんて、30cmぐらい?太くて長いままで、ひと目でそれと分かるもの。「骨壺に入らないので小さくさせていただきます」って崩されちゃったぐらい。

以前、夫の祖母、私の祖母(いずれも90で同じぐらいの年齢)のお骨を拾ったことがあるけど、どどこの骨だか分からないほどほとんど灰だった。係りの人に「この年で普通こんなに骨残らないですよね?」と聞いたら、「はい、大変ご立派なお骨でございます」みたいな。

関節って本当にこんなきれいな球形してるんだーとか、骨盤とか顎の骨とかこんな形なのねーと、まるで理科の勉強をするような気分で、しげしげと見てしまった。顎の骨は歯もしっかり残っていて、ガンに冒された部分だけえぐれてるのも分かった。あと、去年の春に脊柱管狭窄症で手術したときのボルトが4本。ほーこんな大きいのが入ってたのかと感心したり。(写真に残せなかったのが残念なぐらい)

宗派によってお骨の一部を収めるか、全部入れるか違うみたいだけど、今回は全部。骨壺も大きいけど、入りきらないんじゃないの?蓋閉まる?と心配するほどのお骨。あの年になるまで、元気で病気もせずにいた母、やはりとびきり頑丈なカラダだったのねと、改めて恐れ入りました!










2017.09.23 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 葬儀



コメント

ご愁傷さまです。そしてお疲れさまでした。読んでてもらい泣きしちゃったわ。びっけさん、この1年ちょっと、ほんと頑張ったもんね。(あれ?私もちょっと方向性が違う)
まだしばらくは大変そうですが、落ち着いたらゆっくりお話聞かせてね。
福島方面と東京都方面のメンバー(笑)に伝えました。またみんなで会いましょう。
忙しいだろうにblogでお知らせありがとう。
立派なお骨、さすがです。うちの兄みたい(当時46だったけど壺にパンパンだったね)と思いました。タイトル見てすぐピンと来ました。ご冥福をお祈りします。

2017/09/23 (土) 16:16:07 | URL | YUcana #jcOaHd1Q [ 編集 ]

YUcana さんへ

ありがとう。タイトルですぐ分かった?さすがだわ(笑)。泣いたのは、あのときだけ突然に。自分でもなんでかよく分かんない。ココロに蓋はしてないつもりだけど、無意識に何か無理してるところがあったのかしらねぇ。

2017/09/23 (土) 16:25:26 | URL | びっけ #- [ 編集 ]

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2017/09/24 (日) 00:30:02 | | # [ 編集 ]

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