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両親の「たら、れば」を考える

2011年から10年日記を付けている。今年で8年目。日記と言っても、「どこへ行った」とか食べたものとか、大雪とか、頭痛とか、単語か二語文程度のメモみたいなものだけど。


面白いのは、毎年同じ日の出来事が同じページで見えること。「ああ、4年前のこの日はこんなことがあったのか」とか「2,3年前かと思ったら、6年も前?」みたいなことが分かってビックリしたり。

2年前の昨日は「母から座骨神経痛のTELあり」とあった。確かブログにも書いたはずと探してみると、あった、あった。→脊柱狭窄症?

「腰が痛いのに近所の医者に行っても一向によくならない」と「泣き言」を言ってきたというの、まさに2年前の昨日。ブログによると、その数日後に別の医者に行ったら脊柱管狭窄症だと診断されたというので、次のMRI検査に付き合ってあげる約束をした、と書いている。そのとき「歯ぐきが腫れてるのが、3カ月前から歯医者に通ってるのに治らない」という話もしていた。その時点で、まさかそれがガンになって命取りになるとは想像もできなかったけど。

いずれにしろ、今思うと、この日から私の実家の年老いた両親と真正面から向き合う日々が始まったのだ。その数ヶ月前に父が救急搬送されるという事件はあったけど、基本母がひとりで対応したし、私は一回お見舞いに行っただけの他人事だった。でも、この月の終わりには母が入院して手術、すっかり良くなって安心したのもつかの間、その歯ぐきの腫れが実はガンだったということが分かり、病院に付きそうようになる。夏には放射線治療のために1カ月半入院、年明けぐらいから母の状態が悪化し、父のボケも進み、介護保険の申請、在宅医探し、緩和病棟探し……。そして入院、死、警察騒ぎを経て父の施設入居と、めまぐるしい展開だった。

最近、施設にいる父を見て思うのは、今母が元気だったらどうしていたんだろう?ということ。母の入院騒ぎのせいで父の病状が急速に進んだのは間違いないけれど、それ以前から兆候はあった。もし母がガンにならず、ピンピンしている状態で父が施設に入ることになっていたとしたら。実家近くの施設に入ったとして母はどのぐらいの頻度で会いに行ったんだろうか。ボケ始めた父をものすごく冷たく見ていた母。「情けない」のと「許せない」のといろんな思いがあったんだと思う。まして、これほど進んだ状態になった父を見るのは、母にとっては苦痛だったと思う。

逆に、父が認知症になっていなかったとしたら。家事能力のない父が、母亡き後ひとりで生活できないことは同じ。でも、ヘルパーさんの世話になることは断固拒否しただろう。強制的に姉を呼び寄せて面倒をみさせようとして一悶着あったかもしれない。

未亡人の生活を謳歌したかった母には気の毒だけど、そんないろいろを考えると、認知症が進んだ父を見ずして母が先に亡くなったことも、そして、母亡き後父が認知症がひどくなっていろいろなことが分からなくなってしまったことも、ある意味幸せだったとも言えるのかも? 

なーんてことを今さら言ってもしょうがないんだけどね。


2018.03.08 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 介護



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