母の薬増量と血液検査

先月末からお願いしている母の在宅診療の先生。昨日が第3回目の診察だった。


13日に日大病院で主治医から聞いた今後の見通しと、抗がん剤処方のための血液検査をお願いした旨を、この在宅のH先生にメールで伝えたのが日曜日の夜。火曜日が診察の日なので、前日の月曜日中に見て返事をもらえればいいなと思っていたら、なんと月曜日の朝起きたらもう返事が来てた。タイムスタンプは午前2時。たまたま夜中に呼び出される用事があったのかもしれないけれど。

血液検査の件は「一般的な項目なら大丈夫」という返事をもらったので、念のため、以前日大で検査したときの検査データを写メしたものを送っておいた。

そして火曜日実家にやってきたとき、血液検査をすると共に、母がしきりに痛みを訴えるので、今飲んでいる医療用麻薬の量を2倍に増やすことになった。朝晩飲んでいるオキシコチン錠を1錠→2錠に、痛いときに飲むレスキュー用のオキノームも1包→2包に。

「この痛みを何とかして欲しい」と訴えながらも、薬が増えることに不安を感じている母に、今飲んでいる量はまだまだ少ない量なので、増やしても大丈夫、我慢しなくていいという話は、日大の先生も言っていたよと、伝えておいた。

在宅の先生との契約は、本来第一第三火曜の月2回なので、通常だと次回は6月の第一火曜、つまり6月6日。ただ、5月は第5週にも火曜日があるので、それだと3週間もあいてしまうことになる。薬を増やした状態でそれは不安なので、特別に来週の火曜日にもまた来てくれることになった。もちろん、その分追加で支払うことになるのだろうけど、きめ細かく診てもらえるのはありがたいこと。

その話は昨日母からも電話で聞いていたのだけれど、今朝先生からもメールがあって報告を受けた。同時に昨日の血液検査の結果もメールで添付されてきた。早っ。「特に問題はないと思います」というコメントと共に。

プロフィールをみると京都大学医学部出身でアメリカ留学の経験もあるというエリート先生。どういう経緯で若くして(まだ30代?)こういう医療に携わることになったのだろう。母は、「なんか、やたらにやっさしい話し方する先生でねぇ」となんだか不満げ。ああいう性格なので、軽口たたけるような感じじゃないのがやりにくいのと、若いから不安というのもあるみたい。「優しいならいいじゃない、何が不満なのさ!」と一蹴しておいたけど。今度会ったら、エリートなんだよ!!!と吹き込んでおこう。

私としては、とりあえずメールでサクサク連絡が取れるのが大変ありがたい。検査結果も郵送とか言わずにメールに添付なんてすばらしすぎる。

今朝電話してみると、薬を2倍に増やしたら、鎮痛効果はずいぶんあったみたいだ。「でも、もう、こうやって痛み止めの薬飲むしかないんでしょ? じゃあ、一生これ飲み続けなくちゃいけないの?」と聞かれたので、「対応できるお薬があるのはありがたいことじゃない。世の中には、効く薬がなくて苦しんでる人もいっぱいいるんだから」と答えておいた。母のイメージしている「一生」ってどのぐらいなんだろう?と思うけれど、そういう発言が出てくること自体、痛みがいくらか和らいでまだまだ大丈夫って気分になった証拠なのかなとも思う。それもつかの間で、いずれもっと増やしていくことにはなるんだろうけどね。




2017.05.17 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 介護



母の日2017

書いておかないと忘れるので、今年の記録。


まず私が娘たちからもらったもの。
IMG_3365.jpg 

お花のお茶とティーポットのセット。お湯を入れると……。
IMG_3369.jpg 

こんな風になります!
お茶を楽しんだ後は、しばらく水中花として鑑賞できるというもの。
同じカーネーションでも珍しいよね! ありがとう~♪

で、私から実家の母へは、実用第一で!お粥炊飯器。


最近は普通のご飯ではなく、お粥しか食べられないという母。父も元々お粥好きということもあって、2人ともお粥しか食べないのだという。今までは炊飯器でご飯を炊いて、それを土鍋に移してお粥にしているようなので、だったら最初からお粥を作れるものがあれば便利だろうと。

調べてみると、同じように介護食として使っているという人はたくさんいて、結構ニーズのある市場のようだ。いろいろなメーカーから同じようなものが出ていたけど、一番操作が簡単そうなコレをチョイス。あれもできる、これもできるという多機能なものはボタンが多くて分かりづらいからね。これは、オーブントースターのようにつまみを回して時間をセットするだけ。量によって目安はあるけど、自分好みの炊飯時間を見つけてセットすればいい。炊きあがってまだ固ければ時間を足すという感じで。

さっそく一度使ってみた感想を聞くと、母でもなんとか使えた模様。「お米から炊くとおいしいわね」と言ってたから、まあ喜んでくれてるのかな。電話がかかってきて、さんざん他の話をしたあげく、「ねえ、なんか届かなかった?」と聞くまで思いだしてくれなかったのにはガッカリしたけれど。そして、最近あまりにもこういうものをしょっちゅう買ってあげているので、もしかしたらこれが母の日のプレゼントだとは気がついてないのでは、、というオチ。まあ、いいけどね。

義母には、ディオニスのプリーツバッグ。(Amazonにも楽天にもなかったので、リンク先で見てね)

近所のお店で見かけてちょっとステキ?と思ってネットで探したら、上記のオムニ7のサイトにあったので注文して発送しておいた。もうオシャレしてお出かけなんてできない実家の母と違って、義母はまだ若いし元気だから……と思うと、なんか今年はこういうものを選びたかった。

でも、かかってきたお礼の電話では「なんだか、またお上品なもので……」という反応だったので、内心「こんなものもらったってねぇ」と思われてしまったかも。まあ、確かに田舎のおばあさんがもらっても困っちゃうのかもしれないけど、「オシャレを楽しんで欲しい」という気持ちえだけでも伝わっているといいんだけどなぁ。(無理か。。。)
と悲喜こもごも?な今年の母の日のレポートでした!

2017.05.16 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 日々のできごと



読書録:『「痴呆老人」は何を見ているか』


終末期医療に携わる医師が、いわゆる認知症になった老人たちの心理状態を解説した本。

脳の物質がどうのこうのというような生物的説明ではなく、人間としてどんな状態にあるのか、ということにスポットを当てられている。よくある「認知症の人はこうだから、こういう風に対応しましょう」的なものとも違って、冷静に分析しているという感じ。

そこで指摘されているのは、まわりとのつながりだ。

印象的だったのは、検査で同じような認知力の低下があっても、まわりの人との関係性によって、いわゆる困った行動が起きる割合には差があるということ。

私も父を見ていて、もし子供世帯の家族といっしょに住んでいるご隠居老人で、気をかけて面倒を見てくれる人が近くにいれば、ちょっとボケちゃったおじいさんという程度で、それほど困ることはないのになと思う。

そして、コミュニケーションというのは情報をやりとりするだけではなく、情動を交換するものでもあるという話。たとえば老人ホームでまったくかみ合わない会話をしている老人たちも、それなりに気持ちの共有があれば、立派なコミュニケーションが成立している、みたいな。呆けた人たちにとっては、話の内容を理解すること自体はあまり意味がなくて、なんとなく気持ちが伝わることが大事なのだというのは、勉強になった。

この本には、多重人格の話も出てくる。多重人格というのは誰にでも生まれたときには潜在的にあるもので、普通は成長と共に統合されていくのが、小さい頃に心的外傷があると、ある種の感覚や記憶を切り離そうとして人格の単一化が損なわれるのではないかと。

人は自分が「見たい」と思うものを見て、「聞きたい」と思うものを聞くというのも分かるような気がする。他の人には見えなくても、その人にとって見えていれば、それがその人にとっての真実。そういうことって、呆けてなくてもあるんじゃないのかな。「真実はひとつだけ」はコナンの世界だけってやつだ。

というように、なかなかに深い話で、そもそも「私」とは何かとか、考えるとどんどん分からなくなっていきそうな。分かったような分からないような部分もあったけれど、いわゆる呆けの状態をこんなにも真摯に見つめている点に、著者の終末期医療従事者としての経験と真剣さを感じる。

実際に呆けた親の世話に手を焼くようになったら、そんな悠長なことは言ってられないんだろうけどね。まだ心の余裕があるうちに読んでみておくのがよいのかも。

2017.05.15 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



母の余命を聞く

片道1時間半の通院が負担になってきた母の代理で、土曜日に板橋の大学病院に行ってきた。


母自身は、ツライから行きたくないのが半分、直接診てもらいたいのが半分だったのだけれど、前回の診察時に、本人が来なくてもいいと言われていたことと、そろそろ余命その他今後のことについて詳しく聞いてこようと思っていたので、「雨も降って寒いし」と説き伏せて自宅待機してもらった。

土曜日だったこともあって、この日は姉も同行。いつも一方通行でなかなかコミュニケーションが取れていなかったので、そういう意味でも母がいない方が都合が良かったというのもある。

この日は主治医である口腔外科と、放射線科、2つの科を受診。先生ふたりにそれぞれ聞いてみたけれど、答えは同じで、余命は「年単位ということはないでしょう」とのこと。「このまま口からものが食べられる状態が続けば、数ヶ月は余裕でクリアすると思うが、食べられなくなると1カ月か2カ月になっちゃうだろう」と。

口から食べられなくなった場合、人工栄養は賛成しないというのが放射線科医師の意見。「点滴で命を繋ぐのは、本人にとって苦痛を増すだけ」という、まさに私が最近いろいろな本を読んで学んでいた話。私もそれを望むけれど、姉がなんて言うか心配だったので、この早い段階で先生の口から伝えてもらえたのは良かった。予想通り姉は初耳ぽい顔で聞いていたけど、基本的には納得したようだ。

今後は、患部が大きくなり痛みも強くなってくると同時に、転移が予想される。症状としては全身の衰弱。基本的には何もできないが、骨への転移のみは例外で、痛みがひどく、特に背骨がやられると感覚が麻痺して排泄ができなくなる(垂れ流し)になったりして、それは本人にとってもツライことなので、放射線治療で対応することを考えたいという。その場合、余命を考えれば数ヶ月効き目が続けばいいので、1回あてれば十分。なので、今後は患部以外にすごく痛むところがないか、気をつけてみてあげてねと。

抗がん剤をいつまで続けるかについては、2人の医師共に同じ意見で、「本人次第」。つまり、効き目自体はさほど大きくないし、そのせいで食事がまずく感じることもあるかもしれないので、辞めてもいい。だが、抗がん剤を飲み続けることが本人にとっての心の支えになっているので、それをやめると希望を失ってしまうので、おすすめしない。それはまったく私も同感。

ほー!と思ったのは、、今後肝臓などへの影響が出てきて飲み続けられなくなったとき、在宅医に頼んでプラセボ薬を出してもらうという手がある、という話。

プラセボとは偽薬のことで、実は乳糖など薬じゃない成分を入れたカプセルを薬だと思い込んで飲むというもの。いろいろな薬で偽薬を使っても半分ぐらいの人が治ってしまうデータがあるという、いわゆるプラセボ効果というのは知っていたけど、まさにそれね。それはいい考えかも!(こういう話は、まさに本人がいたら聞けない話)

そして、抗がん剤を出してもらうために必須の3カ月おきの血液検査についても、在宅医に検査をしてもらって、そのデータを持ってくれば本人が来なくても処方できるという。なるほど!週明けにでもさっそく在宅医に連絡して、相談してみよう。

そんなわけで、当面は在宅医に緩和ケアをしてもらいつつ、私が代理で抗がん剤をもらってくるという方向で行こうと思う。

余命については、まあそんなものかな、いやでも案外何年もこのままだったりして……という思いが交錯していたけれど、医師の意見をハッキリ聞けたことで、今後やるべきことが少しクリアになった気がする。もう旅行の予定も入ってないし、ここからは一日一日できることを粛々と進めて、納得のいくお見送りをしようと腹も据わった感じ。

夫婦ふたりだけで生活できるのも限界が来てるし、時間的なものを念頭に置いて、母亡き後の父のことも含めて、いろいろ準備を進めなければ。。。。








2017.05.14 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 介護



記憶喪失

次女がこの春転職することになった。新しい会社には来週入社の予定。それに先だって、身元保証人の印鑑がいるというので、今こちらに帰ってきている。


取り出した書類を見ると、身元引受人は2人必要で、共に印鑑証明の添付が必要だという。夫の分はマンション買うときに印鑑登録してるけど、私のは?

えー、登録手続きわざわざするの~、面倒臭いなぁとブツブツ言いながら市役所へ。

申し込みをしてしばらくして呼ばれると、なんと、すでに私の名前でも印鑑登録をしているという。えええ????全然記憶ないんだけど。

おそらく、3年前に新卒で前の会社に入社したときに必要でやったんだと思う(というか、それ以外は考えられないから)。

そういえば、そのとき印鑑証明がどうとか言っていた記憶はある。夫の分だけだと思い込んでたけど、私の分もだったのか。確か、そのとき手続きは次女本人に行かせたので、私は記憶がおぼろげ。システムそのものをよく分かってないであろう次女も、まったくおぼえてない。

けど、市役所に記録があるという以上、そういうことなわけで。

そういうケースはよくあるのか、窓口の人も慣れたもの。前に登録してあった分を廃止し新しく登録という処理をその場でさくっと進めてくれたので、特に問題はなかったのだけれど。

いやしかし。こんなにきれいさっぱり忘れてしまうとは。父のこと言えないじゃーん。

最近、そういうこと多くなってきてる気がする。自分にとって大事じゃないことは自然に忘れてしまうというのは誰でもあることで、ある意味効率的なシステムなのだろうけど、やっぱり記憶容量が減っているんだろうか。

5分前のことを覚えていられないのは極端な話だとしても、人間の記憶力ってこうやって徐々に徐々にグラデーションのように薄らいでいくのかなぁ。

2017.05.12 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 日々のできごと



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