読書録:『一人でもだいじょうぶ』


いつもは、ネットや新聞、他の本の中で紹介されているものをピンポイントで予約かけて読むことが多いんだけど、珍しく図書館で本棚(正確には返本棚)にある実物と出会って読んでみた本。

サブタイトルは「親の介護から看取りまで」で、一人っ子の著者がたったひとりで両親の介護、看取りをした経験を振り返った本。

一人っ子じゃないけど、孤軍奮闘な気分の中で、まさに「私のため??」と運命の出会いのような(笑)。

著者の介護生活は、それまで病身の父を看護していた母が突然倒れたことで始まった。母の入院で自宅に残った父の世話という問題が勃発というのは、わが家と同じ。その後、何度か入院と退院を繰り返すなか、迷いながらも別居のままの「通い介護」の生活が続く。やがて両親を別々のホームに入所させ、最後は病院での看取り。

この本に書かれているのは、主に事実関係が中心。こういうことが起きて、こういうことに困って、こうやって、ああやって何とかしのいだとか。ポイントポイントで、関連アドバイスも付け加えられている。折々に著者が感じた心の動きにも触れられているものの、実用的な内容が基本なので、参考になることも多い。

ただし、この本の出版自体が2009年で、この本を書くまでの間に著者は16年も介護を続けてきたので、介護保険の事情など現在とはかなり違うことも多いのだけれど。

介護って、その人によって事情が本当にさまざま。親の状態、親子関係、兄弟姉妹の有無やその関係性、地理的な条件などなど。状況は刻々と変わるし。何がベストな選択かというのは正解がないのだけれど、実話を追体験し、実例のデータベースを頭に入れておくことは、役に立つと思う。

個人的な感想としては、著者のように「突然」始まったわけではなく、母のガンが見つかってからここまで1年ちょっと、少しずつ心の準備をしてこられた私はラッキーな方だと思う。そして、さすがに私の場合は16年も続くことは、多分ないだろうし。(あと15年生きたとしたら、父は100歳を越えるけど、ないとは言えない?)

実用的な面では、特に施設を探したり、実際に入れてみたりしての部分が参考になった。特に、施設入居をためらう人に向けた「施設は介護のセカンドハウス、それも専属の介護スタッフのいる別荘と思って」という言葉は、いずれ父の入居を考えている私には心強い言葉だった。

著者が介護生活を始めた頃と比べて、今は介護保険も整備されているし、施設もどんどん増えているようだ。事例も積み重なってきていて、ケアマネさんたちのノウハウも貯まってきているはず。「一人でもだいじょうぶ」度はもっと高まってるはず。全国の一人っ子、およびそれに近いみなさん、楽観的にガンバローね!



2017.08.11 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



母が歩いた

恒例の、父を連れて病院へ。

夫に車を出してもらったのだけれど、明日からお盆休みの3連休ということもあって、圏央道が大渋滞で、いつもにましてヘトヘト。しかも、今日は病院では窓口での支払いがあったり、実家ではケアマネさんとの打ち合わせがあったり、郵便受けを確認する、姉に使い方が分からないと言われたフードプロセッサーの使い方動画を撮る、姉に渡すものを置いてくる、実家にあったものを、明日お見舞いに行く予定の次女に渡すために病院にもって行っておく、母に頼まれたものを実家で探す、母が実家で管理していたはずの書類を探して持ち帰る、ヘルパーさんへの買い物代金を補充する……などの事務的なミッションがてんこ盛り。(遠路はるばるせっかく行くのだから、用事はできるだけすませようと欲張るから)

どれも大したことじゃないけど、なんだかバタバタしていて、結局全部はできなかったし。朝出発して夜帰って来た一日がかりの割には、病院でも実家でも時間切れで帰ってきた感じだ。

病室に寄る前にナースステーションに寄って様子を聞いてみると、なんと昨日は歩いたそうな! 部屋をのぞくとチョコンと椅子に座っていたので、「ちょっとお散歩しますか?」と声をかけて、病室のあるフロアの廊下をちょろっとだけ。たまたま通りがかった先生がビックリして、「え、今の誰?」って聞いたと言うんだから、先生も予想外の展開?

私もビックリしつつ病室をのぞくと。先に入ってた父と話をしていた母、私の顔を見るなり、すごく怖い顔をして「どこ行ってたのよ!」と怒る。「人をほったらかしにして!!!!」

は?ほえ?なに?「私だよ」というと、それは分かってる風。どうやら私に怒ってるようだ。なんで~(涙)。

相手にしてもしょうがないので、「勘弁してよ~」と笑いつつ、「パジャマお洗濯してきたからここに入れておくね」と声を掛けると、「そういう、いいこともしてくれるのね」と、未だ上から目線。何なの~、まったく。

おそらく、私に早く来て欲しいのに、来ない、来ないと待っていてくれたのだと受け取ることにしよう。月曜日に行ったばかりだから、1日空いただけなんだけどね。そして昨日火曜日は姉と父が来ているんだけどね。時間感覚もない病人のことだから仕方ない。頭がハッキリしてるときは、「遠いのに悪いわね」なんて言うんだけど。あまり頻繁にいってると、「遠くて大変」っていうのも忘れちゃうのかもね。だって、結局入院以来、週3日は通っているのだもの!!

いやしかし。予想外に状態が落ち着いている母。この分だと医師の見立てよりも?? となると、私もここらでペースを落とさないと持たないかも。私が頻繁に行って話をすることで頭がクリアになり、多少の機能回復につながっているのではとも思うけれど。うん、でも、来週は行く頻度を抑えよう!










2017.08.10 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 介護



読書録:『余命1年のスタリオン』

夏休みで姉が実家に行ってくれたおかげで、父からの電話攻撃もなく平和な一日。久々に、介護ネタ以外で!


30代の人気俳優が突然末期がんを宣告されるというお話。と言っても、医療ネタでもなく、闘病記ネタでもなく、感動大作でもなく、基本コミカルであくまでそういう設定の軽く読み流せる小説。

末期がんの母を持つ身としては、肺がんの末期ってこういう症状になるのね、、なんていうところに反応してしまったりしたけれど(笑)。

あらすじとしては、プレーボーイだった主人公が自分の余命と向き合う中で、最期の仕事としての映画を撮影しながら、真実の愛を見つけるという内容。出てくる人はいい人ばかりで、すべてうまくいきすぎ~っていうところがいかにも小説だけど、個人的には、この時期に読む分には、このぐらい軽い展開の方が深刻にならずに読めてよかったかな。男の人の理想よね、って感じはするけれど。




2017.08.09 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書録



戻った風の母と、壊れだした父

昨日は昼間仕事があって東京へ行ったので、帰りに(父には内緒で)病院に寄ってきた。


母は相変わらず元気。この前ほどのハイテンションでもなく、いたって普通。最初は「鳥が飛んでる」とか言ってたけど、「それ、幻だよ!」と言うと「あら、やあねぇ」と。話してるうちにどんどんクリアになって、差額ベッド代のかからない部屋はまだ空かないのか聞いてみたら?とか、看護師さんたちに付け届けはしなくていいのか、など心配しているあたりは、まるで入院前のレベルに戻ったようにも見える(入院前も、けっこうぼーっとしていて、寝ぼけたことようなこと言ってたし)。口が開かない分、何を言ってるのか「聞き取りにくい」けれど。

看護師さんが来ると、「この人私のこといつもいじめるのよ」なんて、母独特の親しみを込めたからかい?で遊んでて、そばでみているとハラハラしちゃう。向こうはプロだし、毎日見てれば本気で言ってないことはわかってくれると思うけど、「いじめてるのはお母さんの方でしょうが!」「すみませんねぇ」とフォローしておいた。

「頭から下もまでぜーんぶお世話になってるんだから、かわいがってもらえるおばあさんでいなくちゃダメだからね!」と言うと、「ほんとよねぇ、オムツまで替えてもらうんだもんねぇ」と笑う。オムツは最初は嫌だったけど、今はもうすっかり慣れたそうだ。「どうせあっちはプロだもの。気にしないことにした」とは、さすがだ。

この分じゃ、当分死にそうにないわとほっとするやら、(以下自粛)。

そして今朝。父から電話。恒例の「お見舞いの予定はいつか?」を聞くのかと思いきや、「おかあさんは、今どこにいるんだ?」とな。あららら~、そこまで戻っちゃいましたか。病院にいるというと、「それは入院患者としてか」「一度ぐらい見舞いに行ってやらないと」「アンタは遠いからいっしょに行くのは無理か」。予想できないことではなかったので、淡々と軽く「説明」すると、「そうそう」と分かった風な事を言う。

先週は母の命が長くないということを理解したはずの父。心配していた割には、その後落ち込んでる風でもないなと思ったら、「それは忘れる」という自己防衛本能ボタンによってリセットされたらしい。人間ってうまくできてるもんだなぁと、しみじみ感心する。

気になるのは、去年の夏に母が入院したときも、最初は物わかり良く「良い子」にしていた父が、「お母さんはどこにいるんだ?」と聞き出した頃から、いろいろ大変になったのだった。今後何をやらかしてくれるか、戦々恐々。。。

2017.08.08 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 介護



親の介護、どこまでできる?

今朝、9時ごろまた母から電話。どうやら携帯が見つかったらしい。用件は「忘れないように手に何十回も書いたのに、忘れちゃった」とのことだけど、大した用事じゃないだろう。

さて。ここのところ、連日介護ネタばかりの私のブログ。関係のない人には愚痴ばかりで面白くもないだろうけど、同年代の女性からは、面識のない方を含めて友人からも「他人事とは思えなくて一生懸命読んでいる」というコメントを結構たくさんもらう。そして、何人もの人から、「私だったらとてもそこまでできない。びっけさんはえらいね」って。

私自身、自分はすごくドライな人間だと思っていたので、そんな風に人に思われる日がくるなんて、ちょっと変な感じ。

まだここまで事態が深刻にならない頃、いろいろな介護体験記の本を読んだ。好んで読んだのは、元々親との折り合いが良くなかったり、介護なんてできるだけ関わりたくないというスタンスの人のもの。「大好きなお母さん(お父さん)のために、できるだけのことはしてあげたい!」なんていう殊勝な娘さんの心情にはとても共感できないから。いろいろな葛藤を抱えつつ、親への批判や辛らつな言葉を並べている人の体験記は、「ああ、みんなそうよね、娘だからって誰もが献身的に介護できるわけじゃないよね!」と安心できる。

ところが、そういう本を読んでいても、最期が近づくとどんどんトーンが変わってきて、「え、こんなこと私できないよ」とドン引きしちゃうようなことをやり出す。病院のベッドの床に簡易ベッドを持ち込んで何泊も泊まるとか。ありえなーい!!!

で、最期はあんなに悪口言ってたはずの親に感謝の言葉なんて言っちゃったりして「美しい」エンディングを迎える。共感できない私は、「終わった話を美化したい気持ちがあるのかな」なんて感想を書いた記憶もある。

私のブログを読んで「自分は、びっけさんのようにはとても無理」と言っている人も、同じような気持ちなんじゃないだろうか。

あれだけ父や母に恨み辛み?を吐いていた私でも、さすがに最期が近づいて、どんどん弱って壊れていく親をみると、「かわいそう」という気持ちの方が大きくなっている。姉に対しては今でもいろいろ思うところがあるけれど、親に対しては、もういいやって感じ。

今となっては、「やらないと誰かに何か言われる」とか、そういうことじゃなくて、自分がやってあげたいからやってるという感じ。私がやるしかないんだからいう責任感もあるけれど。その辺の感情は、林真理子の小説『我らがパラダイス』に出てくる登場人物がリアルだったかなぁ。(そのときの読書録はこちら

というように、気持ちは変化してくるものなのだと実感している今日この頃。私も鬼じゃなかったて? 同居して介護しているわけじゃないから、せいぜいたまに汚れ物を持ち帰るぐらいで、オムツを替えたり夜中に起こされたりするわけじゃない。距離的に遠いから通うのが大変という問題はあるけれど、基本はあくまで「遠隔操作」できる範囲の話だから、っていうのも大きいと思う。

ただ、これもあくまでゴールが見えてるからであって。現に医師に「9月を迎えることを目標に」と言われたときは、心の中では「あお1カ月(私が)がんばれば解放されるのね」と受け取った。医師の見通し以上に母が「がんばって」しまったら、そろそろ勘弁してよ~、、、とか思っちゃうかも。

そして、母がいなくなった後、父だけの介護となると話は別。今現在体はどこも悪くない父はあと何年生きるか分からない。ひとりになったらガックリきて急に……という話も聞くけれど(というか、期待してたりして)、あと10年とか生きちゃうかもしれない。と考えると、とてもじゃないけど、今のように優しくはしてあげられないと思う。

何ごとも、状況を想像して考えてることと、いざその場に自分が置かれてみると感じることは、かなり違ったということがある。だから、「私にはとても無理」と思っている人も、そうなったときには、どうなるか分かんないよ、と。

この先どういう展開になって、私がそれをどう感じ、どう行動するのか。自分でも分からないけど、記録には残しておくつもりなので、しかと見ておいてくださいませ~。

2017.08.07 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 介護



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